スペインの中南米征服

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スペインの中南米征服

中南米を征服して繁栄したスペイン【15世紀〜16世紀】
ポルトガルのインド航路開拓に刺激されたスペインは、西方へと海洋進出する。
アメリカ大陸に到達し、先住民の国家を次々に滅ぼしていく。

アメリカ大陸への到達と史上初の世界周航

アラゴン王国とカスティリャの合併で誕生したスペインでは、1492年にグラナダを陥落させてレコンキスタ(イベリア半島の再征服)が完了した。
同年、イサベル女王の後援による、イタリアのジェノヴァ出身のコロンブスがトスカネリの地球球体説を信じて西回りでのインド到達を目指した。
彼の艦隊は大西洋を横断し、サン・サルバドル島に到達する。
その後アメリゴ・ヴェスプッチの探検によって、その地がヨーロッパ人には知られていない大陸である事が分かり、アメリカと命名された。

マゼランの世界周航

また、ポルトガル王と対立したマゼランはスペイン王に援助を求め、1519年に西回りでモルッカ諸島に到達すべく出港。
マゼラン自身はフィリピンでの現地人との戦いで戦死したが、彼の部下が喜望峰を回って1522年に帰還し、史上初の世界周航を達成した。
この時、過酷な船旅の結果、出航時5隻だった船が、わずか1隻になっていたという。

スペインの中南米征服とポトシ銀山の発見

コロンブスの探検以降、スペインは中南米への進出を本格化させた。
1521年には、コルテスが先住民の知らなかった馬と鉄砲を使いアステカ王国を滅ぼし、次いで1533年にはピサロインカ帝国を征服し、植民地化した。

渡来人の征服により、環境が激変する

これらの地では、征服者に先住民の支配を委託するエンコミエンダ制がとられ、以後、先住民は大農場や鉱山で酷使される事となった。
過酷な労働に加え、ヨーロッパからもたらされた天然痘などの伝染病の影響もあって先住民の人口は激減してしまう。
こういった情勢を受け、労働力を補う為に、アフリカから多くの黒人たちが、奴隷として連れて来られたという。

価格革命と商業革命

16世紀半ばには、現在のボリビアでポトシ銀山が発見され、大量の銀が生産されるようになると、スペインに巨万の富がもたらせると同時に、価格革命と呼ばれる物価の高騰がヨーロッパに広がった。
また、東方との直接交易が出来た事で、交易の中心が従来の地中海交易から大西洋交易やインド洋交易に移り、リスボンやアントワープといった大西洋沿岸の都市が国際商業の中心となる商業革命が起こった。

スペインの中南米進出による影響

ヨーロッパで起こった価格革命

16世紀のヨーロッパで起きた急激な物価高騰。
アメリカ大陸での銀山の発見や精製法の改良などで、銀の生産量が飛躍的に増大し、ヨーロッパに流入して大量の銀貨が鋳造された。
銀貨の流通量が急激に増加した為、銀貨の価値が下落し、物価が騰貴した。
マドリードでは1世紀の間で物価は13倍になったといわれている。

ポトシ銀山

1545年に現在のボリビア南部で発見された銀山。
精錬技術の進歩などにより、銀の生産量が急増する。
16世紀末のポトシの人口は16万を数え、新大陸最大の都市となった。

銀の輸送ルート

ポトシで採掘・精錬された銀は、まず太平洋岸のアリカ(現在のチリ)まで運ばれる。
そこから船でパナマまで運ばれ、パナマ地峡の反対側へ陸送された後、再び船積みされてスペインへ向かった。

アカプルコ貿易

メキシコのアカプルコとフィリピンのマニラを結んで行われた貿易。
太平洋を横断した初めての貿易で、ガレオン船と呼ばれる大型帆船が使われた。


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