トルコ系イスラム王朝

イスラム世界を支配したトルコ系王朝

10世紀から12世紀頃、軍事奴隷だったトルコ人が力を付け、イスラム世界の実質的支配者となり、トルコ系王朝が誕生する。
トルコ人が建てたイスラム王朝がセルジューク朝(セルジューク・トルコ)と呼ばれ、新たな行政制度を採用する。

イスラム帝国各地でシーア派勢力が台頭

アッバース朝は、8世紀末に最盛期を迎え、首都バクダッドは大いに繁栄した。
しかし、9世紀末以降は地方政権の自立などによって衰退を始める。

変化していく帝国内勢力

10世紀には、チュニジアにシーア派のファーティマ朝が興り、エジプト、シリアに版図を拡大した。
同時期、ペルシアにシーア派のブワイフ朝が建てられた。
この王朝の統治者は大アミールと称し、アッバース朝のカリフの権威を認めた。
また、後に多くのイスラム諸国で実施されるイクター制(軍人に給与の代わりに徴税権を与える制度)を初めて取り入れた。

トルコ人が軍事奴隷から伸し上がり、バグダッドを落とす

イスラム帝国の東部では、マムルークと呼ばれる軍事奴隷(トルコ人が多い)が台頭していた。
10世紀半ばに成立したカラ・ハン朝で、イスラム教への改宗が進んでいたトルコ人が、11世紀前半にセルジューク朝(セルジューク・トルコ)を建てて隆盛となり、1055年にはバグダッドを占領、62年にブワイフ朝は滅んだ。

セルジューク朝の政治

セルジューク朝は、官僚へのイラン人の登用、行政用語へのペルシア語採用、イクター制の実施などを行い、支配体制を固めていった。
11世紀後半には、アナトリア地方に侵入、このときビザンツ帝国の皇帝がローマ教皇に助けを求めた事が、十字軍の遠征の切っ掛けとなった。
しかし、セルジューク朝の全盛期は短く、11世紀末には地方の軍団が自立するようになり、十字軍の侵入もあって、12世紀半ばに滅亡する。


↑ページTOPへ