ポルトガルのインド航路開拓

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ポルトガルによるインド航路の開拓

大航海時代の初期、新たな交易ルートとしてインド航路を開拓したポルトガル。
このインド航路によって、香辛料などの東方物産の直接入手を可能とし、東方貿易を一変させた。
以後、地中海を介した貿易が衰退し、大西洋・インド洋を介した貿易が栄えた。

一世紀に及んだ直航ルートの開拓

15世紀のイベリア半島では、レコンキスタの進展と共に、ポルトガル、カスティリャ、アラゴンの3王国が勢力を増していた。
これらの国はさらなる領土の獲得や、ヨーロッパ人の食生活に欠かせなくなっていた胡椒などの香辛料を直接入手する為、海外へと進出していった。

エンリケ航海王子の航海事業

ポルトガルでは15世紀初頭、エンリケ航海王子が王室の事業としてアフリカ北西部の海岸などの探検を開始。
彼はその他にも航海士の養成所を作って航海技術の向上を図るなど、その後のポルトガル航海事業の礎を築いた。

アフリカ大陸周回→インドまでの航路を確立

エンリケの死後もアフリカ西岸探検は続けられ、1488年にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰に、さらに98年には、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回り、インド西岸のカリカットに到達した。
その後、1510年にインド西岸のゴアを占領したポルトガルはこの地に総督府を置き、翌11年にはマレー半島南西部のマラッカを占領。
さらに香辛料の産地であり、「香料諸島」とも呼ばれたモルッカ諸島に到達して、イスラム商人などに支配されていた香辛料交易の一角に加わった。

ポルトガルと東南アジアを繋ぐ直結航路を確立

マラッカ占領後のポルトガルは、との交易を開始し、1557年にはマカオに居住権を獲得。
その前の1543年には日本に到達して、平戸を根拠地とした対日交易を開始した。
こうしてポルトガルは東アジアからヨーロッパに至る直航ルートを作り出し、16世紀前半、首都のリスボンは香辛料をはじめとする東方物産の荷揚げ港として繁栄した。

なぜ、香辛料が必要だったのか?

肉の保存や味付けには欠かせない香辛料だが、ヨーロッパでは古くからその薬効も知られていた。
長らく香辛料貿易を独占していたのは、主産地のインドや東南アジアとヨーロッパの中間に位置するイスラムの商人だった。
片道2年もかかったという香辛料貿易の結果、ヨーロッパに着くころには同じ重さの銀と取引される程高価になっていたという。
ポルトガルの海洋進出によって、新たな交易ルートが開拓された結果、陸上の交易ルートは廃れ、貿易を中継・独占し、関税を徴収していたマムルーク朝は滅亡する。


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