
紀元前3000年頃から全16世紀ごろ、シュメール人の都市国家建設から始まったメソポタミア文明。
2つの川に挟まれたメソポタミア(川の間の土地の事)地域に、多くの民族が侵入し、興亡を繰り返す。
メソポタミア全体を統一した古バビロニアのハンムラビ王は、楔形文字で刻まれた法典「ハンムラビ法典」を定めた。
>> メソポタミア文明 年表
今から約5000年以上前、紀元前3000年頃、チグリス川とユーフラテス川に挟まれた肥沃な沖積平野(ちゅうせきへいや)に、シュメール人によって、ウル、ウルク、ラガシュといった都市国家が築かれた。
これがメソポタミア文明の始まりである。
城壁で囲まれたそれぞれの都市は、中心には守護神を祀る神殿とジッグラトと呼ばれる聖塔が置かれた。
政治も商業もその神殿で行われ、王は神官でもあった。
都市同士は領土や交易を巡って互いに争い、会計記録などの必要性から、シュメール人は楔形文字を発明した。
紀元前2500頃、都市国家群を統一するウル第一王朝が誕生したが、様々な民族の流入が続き、前24世紀ごろにはサルゴン1世が率いた中央集権的なセム語系のアッカド王国に征服された。
アッカド王国の滅亡後のメソポタミアは、いくつかの勢力の分立状態が続いたが、前19世紀、南部に移住してきたセム語系のアムル人によって古バビロニア王国(首都はバビロン)が建てられると、ハンムラビ王の時代には全メソポタミアを支配した。
ハンムラビ王は灌漑や運河建設を進めて農業生産力や輸送力の向上を図り、ハンムラビ法典を定めた。
法典は各地の習慣法を集大成したもので、序文・282条の条文・結びからなり、刑法・商法・税法・民法などが書かれていた。
「目には目を、歯には歯を」という、同じ方法での復讐を許す原則や、同じ犯罪でも身分によって刑罰が違っているのが特徴である。
しかし、300年続いた古バビロニア王国も、鉄製の武器を使うインド・ヨーロッパ語系のヒッタイト人の侵入を受け、前16世紀に滅んだ。
紀元前15世紀頃アナトリア半島(現在のトルコ)で栄えた民族。
インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話し、ヒッタイト帝国(王国)を築いた。
現トルコにハットゥシャと呼ばれる首都を置いており、高度な製鉄技術により、軍事力で他の民族を圧倒、メソポタミアを征服している。
人類による鉄の使用は前3000年には既に始まっている。
しかし、いずれも装飾品であり、純度の高い鉄を鍛えて鋼にする技術は前1500年頃ヒッタイトで確率されたと考えられている。
これによって強靭な刃を持つ器具の生産が青銅器から鉄器に変わった。
その技術は、ヒッタイト王国によって殆ど独占状態だったが、前1200年頃に民族分類不明の海の民によって王国が滅亡してからは、各地へと伝搬した。
紀元前 | 出来事 |
---|---|
前3000年頃 | 都市国家が成立 シュメール文明が誕生 楔形文字が出来る |
前2500年頃 | ウル第1王朝 シュメール人の統一王朝 |
前24世紀 | アッカド王国 アッカド人がメソポタミアを統一 |
前19世紀 | 古バビロニア王国 ハンムラビ王の時代に最盛期を迎え、ハンムラビ法典が出来る |
前16世紀 | ヒッタイト人の侵入により滅亡 |