インダス文明

インダス文明

インダス文明

紀元前2300年頃から前1000年頃の古代インドでは、インダス川で古代文明が栄え、その後、ガンジス川流域にアーリア人の文明が成立した。

インダス川流域に計画都市を築いたインダス

紀元前2300年ごろ、インド北西部のインダス川流域中心に、パラッパーモヘンジョダロなどの南アジアの文明が生まれた。
これが、極めて綿密な計算の上に都市を計画・建造したインダス文明である。

インダスの計画都市

都市は城塞と市街地に分けられ、城塞には各種の公共施設があり、市街地の外には墓地が置かれていた。
市街地は、整然と基盤目状に区画された大通りや小路に、焼レンガで出来た家々が建ち、井戸や炊事場、洗濯場、沐浴場などがあった。
大通りの地下には下水道が整備され、清掃用のマンホールもあった。
だが、権力を象徴するような王宮や王墓、神殿が発見されておらず政治の様子は分かっていない。
しかし、インダス文明では世界最古の看板が発見されており、その看板に権力者の名前が刻まれていた可能性が指摘されている。
なお、インダス文字は現在でも未解読な部分が非常に多い

メソポタミアとインダスの交易

赤地に黒の彩文土器、石器、青銅製の武器や人像、石製の印象を使用し、メソポタミアとも海上交易を行っていた。

環境破壊によって、徐々に衰退していく

インダス文明はドラヴィダ系の民族が担っていたと考えられ、その遺物に、ヒンドゥー教のシヴァ神に似た像も見つかっており、現在まで続く南アジア文化へ影響を与えたと推察される。
そしてアーリア人の移住以前、前1800年頃から、環境破壊による砂漠化や洪水、河川流路の変更など様々な理由によって衰退へ向かっていった。

遊牧民アーリア人によるガンジス川の文明

イラン高原で遊牧をしていたアーリア人が、インダス川上流のパンジャーブ地方に入って来たのは、前1500年頃である。
アーリア人はインド・ヨーロッパ語系の民族で、都市を造らず、牧畜と農耕を営みながら先住民を支配していった。

カースト制度の始まり

さらに前1000年頃、アーリア人は肥沃なガンジス川流域へ進出し、稲作を開始、定住生活を始めると共に、階層社会を形成した。
最上位に聖職者バラモン、次いで王族・戦士のクシャトリア、庶民で農工商民からなるヴァイシャ、最下層に被征服民をシュードラ(隷属民)とするヴァルナ制、これが、インドで現在まで続くカースト制度の原型である。

ヒンドゥー教とバラモン教

この時期、インド最古の聖典「リグ・ヴェーダ」を始め、サンスクリット語で編纂された多くのヴェーダを聖典とし、バラモン階級を中心にして発展した宗教を、後のヒンドゥー教から区別して、バラモン教と呼ぶ事もある。


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