ロシアの始まり

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ロシアの始まり「モスクワ大公国」

現在では大国としての地位にあるロシア連邦だが、意外にも、建国初期は極めて脆弱な国家であった。
9世紀にロシアへノルマン人の移住しており、その後にスラヴ化、モンゴル支配などを経て、モスクワ大公国が建国、ロシア帝国の基礎が築かれた。
>> モスクワ大公国建国年表

ロシアの始まり

ロシアでは、9世紀にスカンディナヴィア半島(現スウェーデンなど)から、首長リューリクに率いられたノルマン人の一派ルス(船の漕ぎ手の意)が渡来して来ており、ノヴゴロド国(現在のノヴゴロド州)が建国される。
その後、中心地が南に移り、現在のウクライナ中部にキエフ公国が建国された。
これらの国では次第にスラヴ化(スラブ人が多く暮らす地域で、支配者側がスラブ人と同化する事)が進み、10世紀末にはキエフ大公ウラジーミル1世ビザンツ帝国皇帝の妹と結婚し、ギリシア正教に改宗、ビザンツ文化や農奴制を取り入れ、11世紀には領土を拡大した。

モンゴルによる支配「タタールの軛」

しかし、13世紀になるとチンギス・ハンの孫バトゥに率いられたモンゴル軍の侵攻を受ける。
1240年にキエフを陥れ、以後約240年にわたりロシアはキプチャク・ハン国の支配下に入った。
このモンゴルによる支配は、ロシア史上「タタールの軛(くびき)」と呼ばれている。

モスクワ大公国によって、ロシア帝国の基礎が出来る

この「タタールの軛」の中で、次第に力を付け始めたのが、ヴォルガ川支流沿いの水陸交通の要衝に位置したモスクワ大公国である。
モスクワは14世紀後半にはクリコヴォの戦いでモンゴル軍を退けるなど、モンゴルの支配に反撃を加えた。
そして15世紀後半になると、イヴァン3世がビザンツ帝国最後の皇帝の姪とと結婚してツァーリ(皇帝)を名乗った。
1480年にはキプチャク・ハン国への忠誠を拒否して「タタールの軛」から脱する事に成功する。
続くイヴァン4世(雷帝(らいてい))は農奴制を強化し、大貴族を弾圧するなど、中央集権的なツァーリ体制を築き、ロシア帝国の基礎を固めた。

モスクワ大公国建国年表

西暦出来事
9世紀 スカンディナビア半島からノルマン人がロシア地域に移動してくる。
ドニエプル川流域にはもともとスラヴ人たちが住んでおり、ノルマン人たちのスラヴ化が始まる。
862年 ノブゴロド国が建国(ロシアの起源)
スラヴ人と混血したノルマン人たちによってノブゴロド国が建国される。
この後、さらに南方に政権が移動していく。
882年 キエフ公国が建国(現ウクライナ)
988年 ギリシア正教が国教化される。
大公ウラジミール1世がギリシア正教に改宗。
ビザンツ文化も積極的に導入する。
11世紀 キエフ公国の領土が拡大される。
13世紀 モンゴル軍の侵攻を受け、キエフ公国が征服される。
1243年 モンゴルがキプチャク・ハン国を建国。
モンゴルはロシアを直接統治はせず、地元の諸侯を使って間接統治を行う。
1325年 イヴァン1世がモスクワ公に就任。
実質的なモスクワ大公国の建国。
1380年 クリコヴォの戦い
ドミトリー・ドンスコイがモンゴル軍に勝利する。
モンゴルの支配に対する最初の反撃となった。
1480年 キプチャク・ハン国への忠誠を拒否する。
これをもってロシアは「タタールの軛」から解放される。
この頃、イヴァン3世が北ロシアを統一する。
1533年 イヴァン4世(雷帝)が即位する。

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