古代エジプト文明

古代エジプト文明

古代エジプト文明

前3000年頃から前6世紀頃、ナイル川の豊かな自然に育まれて栄えた古代エジプト王国。
2500年続いた古代王国は、巨大なピラミッドや、高度な学問など独自の文明を生み出した。
>> エジプト文明 年表

2500年続いた古代エジプト王国

大河の氾濫との共存によって栄えた

ナイル川下流のデルタ地帯は、毎年夏になると洪水に見舞われ、水が引いた後に残された肥沃な土壌が農地として利用された。
エジプト文明は、こうして出来た農地を基盤に生まれ、ヘロドトスにより「ナイルの賜物」と呼ばれた。

上下エジプトを統一した古代エジプト王国

ナイル川の周囲にノモス(村落)が形成され、やがてナイル川上流の上エジプトと下流の下エジプトにまとまった。
前3000年頃に統一され古代エジプト王国が誕生した(初期王朝)。
さらに、前27世紀から始まる古王国時代に、古代エジプト文明の礎が築かれた後、中王国時代、新王国時代からアッシリア帝国による支配を経て、前6世紀にアケメネス朝ペルシアに征服されるまで、古代エジプトの王朝が約2500年の間続いた。

古代エジプトで生まれた文化

強大な神権政治とピラミッド建設

そもそもエジプト地方は自然資源が豊富だったうえに、東西が砂漠、北は海、南は密林に囲まれて周囲から隔てられていた。
巨大な城としての機能を持つ天然の要害に守られていた為、異民族の侵入が少なく、国土の統一が容易であった。
王はファラオと呼ばれ、太陽神ラーの化身として政治を行い、神官が支配階級を形成した。
特に古王国時代には、王の権力の大きさを象徴する巨大なピラミッドが次々と建設された。
ピラミッドの建設に関して、ヘロドトスの「歴史」には奴隷によって建設されたとあるが、近年では否定されている。
初期のエジプト文明では、国の形がまだ成り立っておらず、人々が生活の場を一定ヵ所に維持する為の象徴を必要としていた。
そのため、国家の象徴として、巨大な人工物であるピラミッドが建設された公共事業であった可能性がある。
少なくとも、石板などの記述から古代エジプトでは生活していた人々は、奴隷とは考えられないような、自由な暮らしぶりが分かっている。

どうしてミイラが作られていたのか

古代エジプト人は、霊魂不滅の信仰から遺体をミイラにしたといわれる。
新王国時代には死者の再生復活を祈る呪文などが書かれた「死者の書」も副葬品とされた。
墓の中の人物と共に、小さな子供のミイラが発見される例もあり、幼くして亡くなった我が子との、来世での再会を願っていたのかもしれない。

文字や、天文学・数学・医学など高度な学問

古代エジプトで使用された文字は、ヒエログリフ(神聖文字)という、人や鳥、獣、魚などの絵からなる象形文字である。
ナイル川岸に茂っていたパピルスの草から作られた紙が普及し、また簡略化されたヒエラティック(神官文字)デモティック(民衆文字)なども生まれた。
また、天文学や数学、医学などの学問が発達し、ナイル川の洪水期を知るために行われた精密な測量から、1年を365日とする太陽暦が用いられた。
ナイロメーターという、ナイル川の透明さや、毎年の洪水が起こる季節にナイル川の水位を測定する建築物も存在する。

古代エジプト王国 年表

紀元前 出来事
前3000年頃 初期王朝の誕生(第1〜2王朝)
前27〜前22世紀 古代王国時代(第3〜6王朝、メンフィス中心)
ピラミッド建設
王(ファラオ)は、太陽神ラーの化身として、絶大な権力を確立。
その象徴としてピラミッドが建設された。
前22〜前18世紀 中王国時代(第11〜13王朝、テーベ中心)
前16〜前11世紀 新王国時代(第18〜20王朝)
対外進出が活発化し、領土が最大になった。
アメンホテプ4世の時代、テーベの神官勢力を遠ざける為、宗教改革を行うが、王の死後、改革は挫折。
前7世紀 アッシリア帝国の支配を受ける。
前6世紀 古代エジプト王国はアケメネス朝ペルシアに征服され滅亡。

↑ページTOPへ