中国共産党と国民党の成立

中国共産党と国民党の成立

日本が中国へ突き付けた21カ条の要求への反対から、中国では民衆運動が高まり、共産党が成立した。
さらに国民党を率いた蒋介石が北伐により軍閥を打倒、中国の再統一を果たした。
同時期、農村地帯を押さえていた共産党は、毛沢東によって中華ソビエト共和国樹立を宣言する。

中国の民族主義運動

21カ条の要求

1915年、中国は日本から旅順、大連の租借期限延長などからなる21カ条の要求を突き付けられたが、軍閥が割拠する中国にこの要求を退ける力はなった。
第一次世界大戦後、中国はパリ講和会議で21カ条の要求の撤回を求めたが、これが認められなった為、19年5月4日、北京の大学生が抗議運動を開始する。
この五・四運動は反帝国主義・反軍閥を掲げた全国的な民衆運動へと発展した。

国民党と共産党による「第1次国共合作」

これを機に、同年孫文中国国民党を組織する。
また、雑誌「新青年」等を発行して新聞化運動の中心的役割を果たしていた陳独秀(ちんどくしゅう)らは21年にコミンテルンの指導下で中国共産党を結成した。
ロシア革命を学んだ孫文は、革命勢力を結集させるため「連ソ・容共・扶助工農」の路線を打ち出し、24年には共産党と協力する第1次国共合作を実現する。
25年、孫文が死去するが、同年、国民党は広州に国民政府を樹立する。

北伐と国共分裂

翌26年から国民革命軍を率いた蒋介石が、列強と結んだ各地の軍閥を打倒する為に、3年にも及ぶ北伐を開始、これを打破する。
また、共産主義の台頭を恐れていた蒋介石は、浙江財閥(せっこうざいばつ)らに支援を受け、27年に上海クーデターを起こして共産党勢力を弾圧し、南京に新たに国民政府を樹立した。

蒋介石による中国再統一

その後も北伐を続けた蒋介石は、28年に奉天派軍閥の張作霖(ちょうさくりん)を退けて北京に入り、全国統一をほぼ達成した。

中華ソビエト共和国

一方、国共分裂後、農村を根拠地とした共産党は、土地改革を進めながら紅軍を組織して勢力を拡大する。
31年には、ソ連の支援によって、瑞金(ずいきん)に毛沢東を主席とする中華ソビエト共和国臨時政府を樹立した。


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