紀元前5世紀頃、インドで仏教が誕生した。
個々の修行を重視する上座部仏教(じょうざぶぶっきょう)と、民衆の救済を求める大乗仏教(だいじょうぶっきょう)に分裂した後、アジアへ広まった。
この仏教は、発祥地であるインドでは定着せず、その後、バラモン教に民間信仰や仏教を吸収しながら生まれたヒンドゥー教が広まった。
このヒンドゥー教は、現代のインド社会にも大きな影響を与えており、カースト制度などの確立につながる。
>> 仏教
「諸々の現象は全て滅び行くものだ。怠ることなく精進せよ」
そう言い残し、沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で涅槃(ねはん)へと至ったガウタマ・シッダールタ(釈迦)は、仏陀(ぶっだ:悟りを得た者)と呼ばれて仏教の祖となった。
前5世紀頃、シャカ族の皇子として生まれた仏陀は、この世の苦から解脱する為に29歳で出家し、35歳で悟りを開き、80歳で生涯を終えるまでガンジス川中流域を説法して歩いた。
入滅後もその教えは弟子たちに口伝され、後に阿含経(初期経典)にまとめられた。
前3世紀、インド初の統一王朝マウリヤ朝の第3代アショーカ王に保護された仏教はインド各地で栄えた。
仏陀の入滅後、肥大化した教団は保守派の上座部と進歩派の大衆部に分裂、さらにいくつかの部派へと分かれた(部派仏教)。
このうち上座部仏教はセイロン島を経由して、ビルマやタイなどへ伝わった。
マウリヤ朝の崩壊後、1世紀のクシャーナ朝の時代に、大乗仏教が生まれた。
大乗仏教は、仏教学者ナーガールジュナ(竜樹)によって体系化され、チベットや中央アジアを経由して中国や日本などへ伝わったが、結局インドでは仏教はヒンドゥー教に吸収され、定着しなかった。
4世紀前半に誕生したグプタ朝は、第3代目の王チャンドラグプタ2世の時代に北インドの大部分を統一した。
6世紀半ばに中央アジアの遊牧民得たフルの侵入によって衰退するまで、地方分権的な統治を続け、東西交易で繁栄した。
当時すでに仏教やジャイナ教の誕生によって尺退化していたバラモン教が、民間信仰や仏教を取り込みながら変貌してヒンドゥー教へと発展したのがこの時代である。
ヒンドゥー教は王族から民衆にまで広がり、主にヴィシュヌ神とシヴァ神に信仰が集まった。
グプタ朝はまたインド文化の黄金期でもあった。
ヒンドゥー教の聖典ともみなされる国民的2代叙事詩「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」や、生活規範を記した「マヌ法典」などを生み出した他、天文学、数学、医学が発達した。
特に数学では、0を用いた計算法が生まれ、インド数学や十進法と共に、後にイスラム世界を介してヨーロッパへも伝わった。
7世紀前半のヴァルダナ朝を最後に、北インドは小国が分立・抗争する時代に入った。
それぞれの生国を治める王たちはクシャトリア(王族)層の子孫を意味するラージプート(王の子)と名乗る事で、その王権を正当化した為、ラージプート時代と呼ばれる。
この王子たちの下、各地で直接農民を支配する領主層が生まれ、封建的な村落共同体が成立していった。
また、住み着いたバラモン(聖職者)僧によって教化されたりしながら、村落内では職業が分化、世襲化されて、カースト制度が確立した。
現在、指定カースト(不可触民)と呼ばれる被差別民の階層は、この頃から形成された。
インド社会を特徴づけるヒンドゥー教とカースト制度は、この時代に定着した。