ユリ(百合)

ユリ(百合)の歴史

ラッパ型の花に代表されるとても優雅で大きな花を咲かせるユリ。
日本では書物や和歌など文化的なシーンでユリを見ることができるが、実際は食用や薬用が主体の植物だった。
花を鑑賞するようになったのは江戸時代に入ってからである。

タカサゴユリ

タカサゴユリ

日本に自生するユリ

日本には15種が自生するが、どれも花が大きくて美しいモノが多い。

  • ヤマユリ
  • ササユリ
  • ヒメサユリ
  • スカシユリ
  • コオニユリ
  • テッポウユリ
  • ヒメユリ
  • オニユリ
  • エゾスカシユリ
  • カノコユリ
  • クルマユリ
スカシユリ

スカシユリ

名前の由来

ユリの由来

ユリの語源は諸説あり、実際のところは不明である。
有力な説として、花が風に揺り動く様の「揺り」から来ている説、球根は鱗片が寄り合って(重なり合って)いる「寄り」が訛って「ユリ」となったなどの説がある。
また、『古事記(712年)』に登場するイスキヨリヒメノミコト(伊須気余理比売命)の「余理」が転訛して「ゆり」になったとも云われる。

百合の由来

現在は「百合」の漢字を当てるが、万葉集では「由理」「由利」などの漢字が当てられている。
2〜3世紀頃に著された中国の書物に「百合(パイホ)」の記述があり、これ日本に伝わって「ゆり」を表す字として使われるようになったと云われている。
百合はたくさんの鱗片が重なり合った様に由来する、とのことである。

ユリの歴史

古代

古事記に『神武天皇がユリを摘んでいる娘に惚れて嫁にした』という物語があり、これが日本の歴史上で最古のユリに関する記述である。
舞台は奈良の三輪山のふもととされており、分布などを鑑みると、このユリはササユリであった。
この物語を現在に伝える行事が、奈良県桜井市の率川神社で行われる三枝祭で、ゆりまつり、とも呼ばれる。
『万葉集』(759年)には10首にユリが詠まれている。

カノコユリ

カノコユリ

中世

ふすま絵などの花鳥画や浮世絵、織物や衣装、工芸品などにユリが描かれるようになる。
ただ、あまり花は意識されておらず、ウメやキクに比べると極端に少ない。

江戸時代

江戸時代になると、花の観賞にも注目されるようになる。
スカシユリの改良が行われるようになり、17世紀末の書物には37種が紹介されている。
また、ヤマユリの変種も多く記録されている。
ヨーロッパからシーボルトをはじめ植物学者や医者などが派遣されるようになり、ユリを含めた日本の植物がヨーロッパに紹介されるようになり、海外の人たちにも注目されるようになった。

明治以降

園芸用にヤマユリやカノコユリ球根の輸出が始まり、明治時代末期には重要な輸出品のひとつになる。
その後テッポウユリの球根が輸出の多くを占める。
テッポウユリはアメリカで特に人気を博している。
テッポウユリは当初、山採りされていたが、質の良いモノを選抜してそれを栽培して増やすようになり、様々な改良品種が生まれた。
しかし、病気やウイルスに弱い面もあり、耐病性があり丈夫な園芸品種が台頭するにつれ、輸出は衰退していく。
昭和の初め頃に現在でもよく知られるシンテッポウユリが作出され、戦後にはカノコユリの優良品種などが作られた。
現在はユリの品種改良は海外に圧されており、世界各地で品種改良・生産された球根が日本でも広く流通している。

テッポウユリ

テッポウユリ

食用としてのユリ

日本では、ヤマユリ、コオニユリ、オニユリの3種がその鱗茎(ユリ根)を食用とするため栽培されている。
苦みを除くためにあらかじめ軽く煮てから、金団や雑煮、茶碗蒸し、がんもどき、味噌汁などに用いる。
中国ではハカタユリ、イトハユリ、オニユリの鱗片を乾燥させたものを百合干と呼び、水でもどして炒め物にしたり、すりおろしてスープにとろみをつけたり、澱粉の原料とする。

オニユリ

オニユリ

ユリの文化

東洋ではユリは食用や薬用に使用される。
花の観賞は、日本では前近代にまでさかのぼる奈良の率川神社の三枝祭などの例外もあるが、明治30年代頃からである。
幕末にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本のユリの球根を持ち帰り、復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行すると、球根は近代日本の絹に次ぐ二番目の主要輸出品として外貨を獲得した。
なお持ち帰られたのは琉球列島原産のテッポウユリであり、これが現在のイースターの象徴として定着していった。
そしていわば逆輸入されるかたちで明治末に鑑賞花として流行した。
ただし、テッポウユリに関しては、現在主流となっている品種「ひのもと」は、時代を下り、1944年に屋久島から福岡県に持ち帰られた球根の後裔が、1962年に種苗名称登録に出願されものである。
輸出用の栽培は、原産地の沖縄以外にも、主に富士山麓から神奈川にかけて広く行われた。
美女の形容として「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」がある。

ヒメユリ

ヒメユリ


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