現在でこそ日本各地で見られるスイセンの花。
冬から早春に掛けて咲く妖精のような可愛らしい花である水仙は、実は元々は日本の花ではない。
スイセンはいつ頃、どうやって日本にやって来たのだろうか?
原産地は主にスペイン、ポルトガルを中心に地中海沿岸地域、アフリカ北部まで広がり、原種は30種類ほど知られている。
また、園芸用に品種改良されたものが広く栽培されている。
スイセンの日本での分布は本州以南の比較的暖かい海岸近くで野生化し、群生が見られる。
越前海岸越前町の群落が有名であり、福井県の県花ともなっている。
日本においては、「日本水仙」が古くに中国を経由して渡来したといわれている。
中国までは、シルクロードを通りペルシャからもたらされた。
日本への伝来は二つの説がある。
スイセンは日本の気候と相性が良いので、植え放しでも勝手に増える。
球根が細分化するばかりで、開花しない場合は、土壌の窒素過多か、植え付けが浅すぎることが原因である。
夏場は地表面を別の植物で覆うと、温度が上がり過ぎず、地中の球根に適した環境を維持できる。
室町時代の書物に「水仙花」「雪中花」の文字が書かれていた。
安土桃山時代には「松」「蓮」「杜若」「菊」とともに、華道において、水仙は格調高い花として珍重されていた。
名前の由来は、中国の名前「水仙」をとったといわれている。
中国では水の豊かな土地を好み、「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という中国の古典に由来する。
水辺で咲く姿を仙人にたとえたのであろう。
方言ではチチロ、キンデバナ、キンデ、シイセン、ハルダマなどの呼び名がある。
Narcissusという学名は、ギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスに由来する。
神話によると、ナルキッソスは、その美しさにさまざまな相手から言い寄られたものの、高慢にはねつけ恨みを買った。
ついには、そんな彼への呪いを聞き入れた復讐の女神ネメシスにより、水鏡に映った自分自身に恋してしまった。
水面の中の像は、ナルキッソスの想いに決して応えることはなく、彼はそのまま憔悴して死ぬ(水面の像に接吻をしようとして溺死したという説もある)。
そして、その体は水辺でうつむきがちに咲くスイセンに変わった、というものである。
だからこそスイセンは水辺であたかも自分の姿を覗き込むかのように咲くのである。