キク(菊)

キク(菊)の歴史

菊には長寿の力があるとされ、薬としても鑑賞植物として、古くから日本人に愛されてきた。
現在でも、お供え花として、家紋として、食用ギクとして重宝されている。

菊

菊は中国が原産

菊は中国が原産植物であり、その歴史は3000年以上前に遡る。
前漢(紀元前206〜8年)に書かれた儒教の経書、『礼記(らいき)』に「鞠」という植物が記されている。
現在使われている「菊」という漢字も「鞠」に由来する。
また、中国最古の類語辞典『爾雅(じが)』や、詩集『楚辞(そじ)』にも、菊とみられる植物が記されている。
本草書である『神農本草経』には、薬としてその効力が記されており、健康長寿に効果があると考えられていた。
菊の栽培が本格的に始まったのは、梁(502〜557年)と考えられ、唐(618〜907年)の時代以降、改良品種が盛んになっていく。

日本における菊

日本には多くの野菊が自生するが、家菊・栽培菊は日本になかった。
『万葉集』には157種の植物が登場するが、菊を詠んだ歌は一首もなく、平安時代に入り、『古今和歌集』あたりから盛んに歌にも詠まれるようになった。

ヨメナ

ヨメナ
野菊の一種

アキノノゲシ

アキノノゲシ
野菊の一種

平安時代に日本へ渡来

菊は8〜9世紀の平安時代に中国から伝わったと考えられている。
初めて菊が文献資料に登場するのは、平安時代に書かれた歴史書『類聚国史(るいじゅこくし)』で、そこには宮中で催された宴で、桓武天皇が詠った歌が載ってる。
平安時代、菊は宮中で人気の花となり、『古今和歌集』に菊に関する歌が多く収められている。
勿論、薬として重宝していただろう。

小菊

小菊

奈良時代渡来説

奈良時代にはすでに菊は日本に伝わっていたのではないかという説もある。
奈良時代に編纂された日本最古の和歌集『万葉集』には、菊を思わせる歌が残されているという見方もある。
飛鳥時代には遣隋使を通じた中国とも国交が始まっており、奈良時代に既に日本に伝わっていたと考える事も十分可能である。

鎌倉時代

春の桜に対して日本の秋を象徴する花となるが、それが決定的になったのは、鎌倉時代の初め後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み、「菊紋」を皇室の家紋とした頃からである。
また、九州の豪族菊池氏(平安時代に藤原から改名)も家紋に「菊花」もしくは「菊葉」を使用している。

江戸時代に菊ブーム到来

時代の流れとともに、菊は貴族から武士へ、武士から庶民へと人気が広がっていく。
それらの菊はすでに品種改良がなされ、過去に中国から輸入された面影はなくなっていった。
正徳頃からは「菊合わせ」と呼ばれる新花の品評がしばしば行われ、江戸、伊勢、京都、熊本などでそれぞれ独自の品種群、系統が生じた。

江戸時代には、菊に限らず、多くの草花の品種改良が盛んになっていく。
江戸幕府が五節句を正式に制定し、9月9日を「重陽の節句」としたことで菊の人気が急上昇。
重陽の節句では、菊の花びらを散らせたお酒をあおり、長寿を祈ったといわれる。
また、菊を使った花壇に菊を寄せて植えた「花壇菊」、集めた菊で富士山などを模す「形づくり」が盛んに作られていく。
「三段仕立て」などの仕立ての様式やその丹精の仕方なども発達し、菊花壇、菊人形など様々に仕立てられた菊が観賞された。

これらは江戸時代から明治、大正時代にかけて日本独自の発展をした古典園芸植物の1つとして、現在では「古典菊」と呼ばれている。
全般に花型の変化が極めて顕著であるのが特徴で、その中でも「江戸菊」は咲き初めから咲き終りまでの間に、花弁が様々に動いて形を変化していく様を観賞する。

明治〜現代

このように発展した日本の菊は幕末には本家の中国に逆輸入され、中国の菊事情を一変させた。
明治時代になると、花型の変化よりも大輪を求める傾向が強まり、次第に「大菊」が盛んになった。
花型としては厚物、管物、大掴み、一文字などに収束し、花の直径が30センチメートルに達する品種も現れた。
この傾向は菊を日本の象徴として見る思想と関係していると思われ、戦後にまで続いている。

菊


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