ヒガンバナ(彼岸花)

ヒガンバナ(彼岸花)

いつ、どうやって日本にやって来た?

秋の彼岸頃に花を咲かせるヒガンバナ。
今でこそ秋の始まりを告げる花として、日本人に親しまれるヒガンバナだが、ヒガンバナは日本生まれの花ではない。
ヒガンバナは中国、長江流域が原産の球根植物であり、中国から海を越えて日本に渡来してきたと考えれている。
ヒガンバナがどうやって日本にやって来たかを記し文献資料は存在せず、有史以前に渡来・帰化した植物、史前帰化植物とされている。
具体的にどの時代に、どうやって来たのかは諸説あり、実態は分かっていない。

ヒガンバナ(彼岸花)

ヒガンバナ(彼岸花)

ヒガンバナの伝播ルート

縄文時代後期から晩期(〜弥生時代)に稲作とともに伝えられた「人為分布説」や、球根が海流に載って流れ着いた「自然分布説」などがある。
ヒガンバナは沖縄などの離島、近隣諸国の朝鮮半島や台湾では日本の様に帰化しておらず、中国から直接日本に伝わった可能性が高い。

縁起の悪い花?

日本では縁起の悪い花と言われることがあり、地域によっては「しびとばな」や「じごくばな」といった恐ろしい名前が付いている。
墓場で見掛けるから、毒を持っているから、子供が近づかない様に、等の様々な理由から恐ろしい名前が付けられたのだろう。

文献に見るヒガンバナ

室町時代の書物から存在が確認できる

一説には「稲作と共に伝来した」といわれるヒガンバナではあるが、現在残る文献にヒガンバナの存在が確認出来るのは、室町時代以降である。
『古事記』『日本書紀』は勿論、『万葉集』、『平家物語』や『源氏物語』、『枕草子』や『徒然草』にも彼岸花は出てこない。
1190年頃に編纂された『平治物語』には「曼珠沙華」という言葉が出て来るが、仏教上の用語として使われており、ヒガンバナという花を指しているとは思えない。

ヒガンバナが出て来る最古の史料

ヒガンバナが出て来る最古の史料は『続群書類従』という書物だ。
文安元年(1444)に没した禅宗の高僧心田が遺した「曼殊沙花を奉じて定林和上に寄す」と始まる詩藁である。
この漢詩はある年の秋、老師に従って西阜に滞在している僧侶にこの花を添えて送ったものだが、「曼殊沙はインドの原産だが、花々は次々に咲き紅に茂って光り輝く」「曼殊は世に稀で珍しく、他に類を見ないあでやかさ」といった内容であり、確実にヒガンバナの事だと思われる。

室町時代、希少な存在であったヒガンバナ

同時代の僧侶が著した『木蛇詩』にも「人の曼珠沙華を恵まれしを謝す」と題する詩がある。
“曼殊沙華に出会えて感謝する”という意味であり、室町時代にヒガンバナは日本に存在していたが、希少な存在であった事を覗わせる。

足利義政が好んだヒガンバナ

また、室町時代の典籍としては、明文年間(1469〜87)以前に成立したといわれる国語辞典『節葉集』や、天文16年(1547)のものとされる『運歩色葉集』に曼珠沙華が収録されている。
室町八代将軍・足利義政は茶会を好んだ事で知られるが、この頃から茶室に花を立てることが盛んになる。
『山科家礼記』には延徳3年(1491)の8月24日に禁裏の御学問所で曼珠沙華を立花した事が記されている。

江戸時代

江戸時代の「本草綱目」や「和漢三才図会」にはヒガンバナやその用途がしるされています。

万葉集にもヒガンバナが登場?

万葉集に詠われている「イチシ(壹師)」と呼ばれる植物が、ヒガンバナの事ではないかとの説がある。
この植物が詠まれているのは巻11にある次の一首である。
「路邊壹師花灼然人皆知我恋嬬 路の邊のいちしの花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻は」
しかし、イチシの正体については古くから諸説があり、一般的にはヒガンバナとは考えられていない。

宣教師の記録

慶長8年(1603)、日本イエズス会が長崎で刊行した『日葡辞書 VOCABVLARIO DA LINGOA DE IAPOM』にも「Manjuxaqe(曼珠沙華) 秋に咲くある種の赤い花」としてヒガンバナがとりあげられている。
はるかヨーロッパからやって来た宣教師たちも、日本でヒガンバナを見ていたようだ。

ヒガンバナ(彼岸花)

ヒガンバナ(彼岸花)

名前の由来

彼岸花の名は秋の彼岸ごろから開花することに由来する。
別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある。

多くの別名

異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、蛇花(へびのはな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われるままある。
しかし、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。
日本での別名・方言は千以上が知られている。

曼珠沙華の由来

別名の曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。
「天上の花」という意味も持っており、相反するものがある。
仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、真っ赤なヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである。
ただし、白花曼殊沙華は「天上の花」という名前にしっくり来る。

シロバナマンジュシャゲ(白花曼殊沙華)

シロバナマンジュシャゲ(白花曼殊沙華)
ヒガンバナの一種

英語名、学名

学名の属名Lycoris(リコリス)は、ギリシャ神話の女神・海の精であるネレイドの一人 Lycorias からとられた。
種小名 radiata は「放射状」の意味である。

ショウキズイセン(鍾馗水仙)

ショウキズイセン(鍾馗水仙)
ヒガンバナの一種

ヒガンバナと人々の関わり

人為的に沢山植えられた

水田などの耕作地や人家周辺、寺社や墓地、河川周りなど人が生活を営む範囲に多く自生する、いわゆる人里植物。
人里に多いのは、かつて作物として利用されており、半ば栽培状態にあったからといわれている。

ヒガンバナ(彼岸花)

ヒガンバナ(彼岸花)

食用・薬用

ヒガンバナは有毒植物であるが、球根にデンプンを含んでおり毒抜く次第で、食用にもなる。
食料の確保が難しい時期に救荒作物として食されたようで、団子にしたり、雑穀と混ぜて食べられていた。
なお、調理は非常に難しいモノである為、現代人は絶対に食べない。
すりつぶした球根を患部に塗るというような、民間療法も知られている。

害虫・獣除け

糊にすり下ろした球根を混ぜて、屏風などの下紙を張るのに用いると虫が付かない、土壁に混ぜるとネズミが齧らない、獣除けに墓場に植えるなどの利用法が在った。
また、モグラ除けのために水田の畦に植えられたようだ。
現在、田畑の近くでヒガンバナが多く見られるのは、こういった事情であった。

雑草除け

ヒガンバナは他の植物の生長や発芽を抑制する他感作用(アレロパシー)がある。
水田の畦に植えると雑草を抑える効果もある。

ナツズイセン(夏水仙)

ナツズイセン(夏水仙)
ヒガンバナの一種


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