潜伏キリシタンが伝承、禁教期の元号入り暦発見
2018.09.11
潜伏キリシタンが伝承、禁教期の元号入り暦発見


「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産がある五島市・奈留島で、江戸時代の1850年(嘉永3年)の日付やキリスト教の記念日が記された潜伏キリシタンの暦が見つかった。1614年の禁教令発令後、1859年の開国までは国外から宣教師が入ってきていないことから、専門家は「禁教期に信者が暦を伝承したことを裏付ける貴重な証拠」と注目している。

 暦があったのは、世界文化遺産に登録されたキリシタン関連遺産の構成資産「奈留島の江上集落」と同じ西海岸に位置する同市奈留町浦、水産会社経営吉田茂樹さん(65)の自宅。先祖を祭る祭壇で杉箱に入れたままになっていたのを、「禁教期のキリシタン研究会」の柿森和年世話人が確認した。

 暦は十数ページの和紙に書かれ、「嘉永」の元号の日付が入っている。マリアがイエスを身ごもった受胎告知を祝う2月26日の「さんた丸や」(サンタマリア=聖母マリア)の記述から始まり、日曜日を意味する「どみんご」、日本で宣教が始まった日などが記されている。同じ内容を新しい和紙に書き写したものもあり、劣化した暦を更新したとみられる。

 暦の内容は、1634年の教会暦を日本の太陰暦に改編し、年間行事や儀礼の基準とされた「バスチャン暦」とほぼ同じ。潜伏キリシタンが信仰を続ける上で欠かせず、暦を管理する役職者が組織のリーダーを務めるほど重視されていた。

 暦が保管されていた杉箱には、殉教者の衣服とされる布きれも入っていた。集落では、隠れキリシタンの組織が昭和40年代まで残っており、死者を送る際に衣服の切れ端を持たせる習慣があったという。

 柿森世話人は「潜伏キリシタンの暦は各地で見つかっているが、元号が入っているものは珍しい。時代が分かる暦の中では、最も古い部類になるのではないか」と指摘。吉田さんは「先祖が代々伝承してきたもので、これからも大切に保管していきたい」と話した。(坂田元司)

読売新聞
2018.09.11 14:14
昭和20年 新宿駅前 撮影:影山光洋氏
2018.09.09
昭和20年 新宿駅前 撮影:影山光洋氏



右下に見えるのが新宿駅舎(現在ルミネエスト、元マイシティの場所)
正面のビルが聚楽
その後ろに見えるのが武蔵野映画館
2018.09.09 20:57
戦前で最も売れた雑誌「キング」
2018.09.09
1924年(大正13年)、講談社(当時は大日本雄辯會講談社)から戦前で最も売れた雑誌「キング」が創刊された。
安価で付録も豪華、昭和3年には何と150万部を売り上げた。


2枚目は創刊当時の講談社の編集会議。
2018.09.09 16:55
浜松城ペーパークラフト
2018.09.09
【グッズ】日本名城シリーズ1/300『浜松城ペーパークラフト』(ファセット 1296円)発売。
実測図面から設計した超本格派!ペーパークラフト。
A4上質紙 9枚(表紙1枚、部品図6枚、組立図2枚)
浜松城 ペーパークラフト 1/300(メール便可能)日本名城シリーズNo36 ファセット/お城

2018.09.09 15:57
昭和3年 チャップリンのサーカス ポスター広告
2018.09.08
昭和3年 チャップリンのサーカス
ポスター広告
2018.09.08 00:50
奈良時代の掘っ立て柱建物跡が出土 京都・城陽の「芝山遺跡」、北陸道沿いに整備か
2018.08.30
京都府城陽市の芝山遺跡・芝山古墳群から、奈良時代の掘っ立て柱建物跡が出土し、府埋蔵文化財調査研究センターが28日発表した。
東側には平城京(奈良)と北陸を結ぶ官道の北陸道があったとされ、官道沿いに建物が整備された可能性があるという。


奈良時代の掘っ立て柱建物跡。当時あったとされる北陸道沿いに建っていたとみられる=城陽市の芝山遺跡

新名神高速道路の整備事業に伴い、平成29年度から南北に走る府道西側の計約2400平方メートルを調べていた。奈良時代の須恵器や土師器(はじき)などとともに10棟分の掘っ立て柱建物跡が出土。過去の調査で、府道にほぼ並走する形で道路跡が南北で確認されており、うち2棟がその延長線上に沿って建てられていた。

真北に向いた建物跡1棟と、「田」の字状に柱を配置する総柱建物も4棟確認。
総柱建物は床を補強した倉庫として活用されていた可能性があるという。
直径9・5メートルの古墳時代後期(6世紀)の円墳も見つかり、墳丘の中央付近で埋葬施設1基を確認。
木棺が納められていたとみられる。

同センターの桐井理揮調査員は「建物が役所跡なのかは不明だが、遺跡の性格を分析するための貴重な史料」としている。

https://www.sankei.com/smp/west/news/180829/wst1808290023-s1.html
2018.08.30 10:49
「卑弥呼の墓」9月出版 豊永会の豊永名誉理事長 独自の視点で読み解く
2018.08.28
「卑弥呼の墓」9月出版 豊永会の豊永名誉理事長 独自の視点で読み解く

飯塚市で飯塚記念病院や診療所「心のクリニック・飯塚」などを運営する豊永会の名誉理事長、豊永武盛さん(79)が9月15日、邪馬台国や卑弥呼について論じた「卑弥呼の墓 『あいうえおの考古学』2」を出版する。

豊永さんは本文で「魏志倭人伝の郡使が帯方郡から入り、倭に入って邪馬台国に至るまでの国々-そこに私は不思議なものを感じ取っていた。それは、『地名』に『身体名的』な言葉が多いということである」と指摘。
「対馬=唾」「一大国(壱岐)=息」「末盧(松浦)=目面」など多くの例を挙げ、九州北部などの当時の状況を独自の視点から読み解こうと試みた。

1500円(税別)、文芸社=03(5369)2299。

=2018/08/28付 西日本新聞朝刊=

https://www.nishinippon.co.jp/nlp/book_news/article/444932
2018.08.28 16:47
古写真
2018.08.28
明治前半の茶屋のようす

2018.08.28 14:11
奈良の箸墓古墳 被葬者は岡山出身?カギ握る埴輪の祖先
2018.08.28
奈良の箸墓古墳 被葬者は岡山出身?カギ握る埴輪の祖先



奈良県橿原市の弁天塚古墳で出土した宮山系特殊器台。
裾の広がった脚部が残っている(奈良県立橿原考古学研究所付属博物館提供)
奈良県桜井市の箸墓古墳(全長約280メートル)は、3世紀中ごろ、最初に築かれた大型の前方後円墳だとみられています。
このころの倭について記した中国の歴史書「魏志倭人伝」に登場する女王・卑弥呼の墓の有力な候補地としても知られています。

この古墳でみつかった特殊な土器が、吉備(岡山県)の複数の地域の工人によってつくられたと考える新説を、最近、春成秀爾・国立歴史民俗博物館名誉教授が発表しました。
箸墓古墳に葬られた人物(被葬者)が、吉備と強い結びつきをもっていた可能性をうかがわせる研究成果です。

吉備では弥生時代後半、儀式の際に使われる壺などを載せる「器台」が発達し、複雑な文様を持つ高さ1メートル前後の円筒形の大きな土器がつくられました。
これは「特殊器台」と呼ばれています。
春成さんは1967年、師の近藤義郎・岡山大教授(故人)と連名で論文を発表し、この特殊器台が、のちの古墳時代に古墳の上に立てて並べられた「円筒埴輪」の原型だと考えました。
岡山県倉敷市には弥生時代最大級の墳墓・楯築墳丘墓(全長約80メートル)がありますが、この墓でも特殊器台がみつかっています。
2018.08.28 13:29
1932年(昭和7年)、山梨県の敷島村での結婚式
2018.08.26
1932年(昭和7年)、山梨県の敷島村での結婚式



詳細は調査中
2018.08.26 23:11
スマホかざすと平安時代の景観 「大内裏」表示するアプリ開発
2018.08.26
スマホかざすと平安時代の景観
「大内裏」表示するアプリ開発



大極殿跡でスマホをかざすと、画面に表示される平安時代の再現CG(京都市中京区)
平安時代の景観を現在の京都市内で見られるスマートフォン用アプリを、立命館大の教授らが開発し、無料公開している。
拡張現実(AR)技術を使い、平安京の政治中枢「大内裏」の各施設跡でスマホをかざすと、鮮やかな朱塗りの建物が現実風景に重なって表示される。
開発者は「史跡巡りや地域学習に活用してほしい」と期待する。

アプリは「バーチャル平安京AR」で、矢野桂司教授(人文地理学)らの研究チームが開発した。
GPSの位置情報と、京都アスニー(中京区)に展示されている平安京の復元模型の3次元データを活用し、平安京北部にあった大内裏内(南北1・4キロ、東西1・2キロ)の各施設跡に復元モデルを配した。

例えば千本丸太町交差点(上京・中京区)でアプリを起動して、北向きにスマホをかざすと、天皇が政務や国家儀式を行った大極殿の再現モデルが画面内に登場。
各施設跡で同様に操作すれば、それぞれの建物の再現モデルを見ることができる。
10秒ごとに位置情報が更新されるので、移動にも対応している。

大内裏内のほかにも、平安京のメインストリート朱雀大路の景観や平安京の南の入り口だった羅城門の外から都の中を見るような映像コンテンツも盛り込んだ。
グーグルプレイとアップルストアから無料でダウンロードできる。

矢野教授は「好評であれば、有名貴族の邸宅跡などの情報も拡充していきたい」と話している。
2018.08.26 20:50
長崎140年ぶり里帰りの「住吉神」
2018.08.26
140年ぶり里帰りの「住吉神」 みこしの担ぎ手募集
来月2日 市民有志が還郷祭 歴文博ー諏訪神社を巡行

歴史の「重み」を感じませんか-。
長崎の秋を彩る長崎くんちで、明治初期まで使用されたみこしが140年ぶりに里帰りしたのを受け、市民有志でつくる実行委はみこしの清祓(きよはらい)などを行う「還郷祭(かんきょうさい)」を9月2日に開催する。

みこしを所蔵する長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)から諏訪神社(上西山町)まで巡行する際の担ぎ手を、市民から募集している。
みこしは「住吉神」。

同館によると、1676年から1878年まで長崎くんち前日の「お下り」と後日の「お上り」に使用され、現存する諏訪神社のみこしでは最古。
江戸期のくんちを表現したびょうぶ絵「長崎諏訪神社祭礼図屏風」にも住吉神が描かれている。

福岡県柳川市の三島神社が1878年に諏訪神社から購入し所有していたが、今年3月に長崎市へ寄贈した。
200年以上使われた歴史あるみこしを広く知ってもらおうと、実行委が市と同館の許可を得て祭りを企画した。

清祓をする諏訪神社までみこしを運ぶ間に、市民に披露する形。実行委が協力を呼び掛けた経験者約20人のほかに市民からも20人程度の担ぎ手を集め、交代で担ぎながら巡行する予定だ。
安全面を考え、募集対象は高校生以上の男性。
2018.08.26 17:29
古事記は誰のために作られたもの?
2018.08.25
古事記は誰のために作られたもの?
https://www.kokugakuin.ac.jp/article/82153

日本最古の書物『古事記』。
世界のはじまりから神様の出現、皇位の継承まで、日本の成り立ちがドラマチックに描かれています。
それぞれの印象的なエピソードには今日でも解明されていない「不思議」がたくさん潜んでいます。
その1つ1つを探ることで、日本の信仰や文化のはじまりについて考えていきます。

『古事記』は日本に現存する最古の書物(作品)です。序文と上・中・下の3巻からなり、世界のはじまりから神々の出現、そして天皇家の皇位継承の様子が描かれています。
序文には『古事記』の成立過程が記されています。
それによると、『古事記』はまず天武天皇(在位673~686)の意志によって作成がはじまり、約30年後の元明天皇(在位707~715)在世中の712年に太安万侶(?生~723没)が完成したといいます。

では『古事記』は何のために作られたのでしょうか?同時期に成立をした歴史書『日本書紀』と比較をしてみましょう。

『日本書紀』は中国の歴史書に倣って、日本でも本格的な歴史書を作ろうという動きの中で作られたものです。
そのため、中国でも読めるものを意図して、漢文体で、時系列順に記録されています。
『日本書紀』は成立の翌年から宮中において読書会が行われた記録があり、中央政府の官人が勉強目的で読んでいたことがうかがえます。

一方で『古事記』はどうでしょうか。
『古事記』は、日本の古語を書き記すために、崩れた漢文体を用い、国内向けの文章で書かれています。
内容は、神々の世界から各天皇の時代の出来事を描く点では『日本書紀』と変わらないのですが、登場する神々や人々が個性豊かに描かれ、それぞれの物語がドラマチックに描かれています。
そのため皇后の娯楽用、または皇子の教育用に作られたという見方があります。
完成後に広く読まれた形跡がないのも、宮中内部の私的な文書であったからとも言われます。
しかし一方で、氏族系譜に対してこだわりを見せているところから、天皇家と各氏族との関係性を明示し、天皇中心の国家体制を確立するために作られたという見方等もあります。

いずれにしても、国の正史と位置づけられる『日本書紀』と比較すると、『古事記』は成立の意図や性格など、謎に包まれた部分が多くあり、それが逆に魅力となって読み継がれているのでしょう。

~國學院大學は平成28年度文部科学省私立大学研究ブランディング事業に「『古事記学』の推進拠点形成」として選定されています。~
2018.08.25 13:58
昭和30年 そば屋の出前
2018.08.25
本当にこんな風にソバを運んでいたのですね。
運ぶ様子を見せる「ショー」としての宣伝も兼ねていたのでしょうか。


昭和30年
そば屋の出前(東京)
朝日新聞社
2018.08.25 00:51
ビッグ「人面石」クッキー再発売 弥生の重文モチーフに
2018.08.24
ビッグ「人面石」クッキー再発売 弥生の重文モチーフに



長崎県壱岐市の市立一支国(いきこく)博物館が、近くの遺跡から出土した「人面石」をかたどった巨大クッキーを販売している。大きさは、大人の顔ほど。博物館は「考古学や発掘史料に親しみを持って」と期待を寄せている。

人面石は市内の「原の辻遺跡」で2001年に発見された、縦10・2センチ、横7・4センチの石。弥生時代に五穀豊穣(ほうじょう)を願ったり、先祖の霊を鎮めたりする際に使ったとみられ、国重要文化財に登録されている。

博物館は10年の開館時から、人面石とほぼ同じ大きさの「人面石クッキー」を販売。地元の赤米を使ったクッキーはサブレのようなさくさくした食感で、バターのまろやかな味わいが特徴だ。開館初日に450枚が完売したほどの人気で、今でも「ミュージアムショップの主力商品」という。

朝日新聞
2018.08.24 22:04
有力者の邸宅?平安末期の溝
2018.08.24
有力者の邸宅?
平安末期の溝

京都府埋蔵文化財調査研究センターは22日、亀岡市曽我部町中の春日部遺跡から、平安時代末期のL字形の溝が見つかったと発表した。
溝は建物跡を囲うように掘られており、有力者の邸宅があったと考えられる。

国の農地再編整備事業に伴い、同センターが5月から約1500平方メートルを調査。
12世紀末のL字形の溝(東西約40メートル、南北約15メートル)を発見した。溝の幅は約3メートル、深さは約30センチで、溝を渡るための土橋も見つかった。

溝の内部には、地面に穴を掘り柱を立ててつくった「掘っ立て柱建物」3棟の跡が確認された。
同センターの担当者は「今回の溝は土地を区画するためのものとみられる」と話す。

同遺跡からはほかに、古墳時代中期から後期までの竪穴建物跡が6基発見された。
遺跡の西側には、古墳時代後期を中心とした古墳群があることも知られており、古墳群と関連した集落跡とみられる。
古墳時代の須恵器、土師器(はじき)のほか、亀岡市内で生産されたと考えられる平安時代の緑釉(りょくゆう)陶器の破片などもあった。
2018.08.24 12:21
幕末徳川将軍家の銀印見つかる
2018.08.23
幕末徳川将軍家の銀印見つかる
国家元首の意思示す



江戸末期、徳川将軍家が外交文書に押印した銀印「経文緯武」が見つかったと、徳川記念財団(徳川恒孝理事長)が20日付で発表した。徳川14代目将軍家茂と15代目将軍慶喜が、日米修好通商条約の批准書などで対外的に「国家元首」として意思表示したことを示す貴重な資料だ。

 銀印は昨年、徳川宗家の蔵を調査する過程で見つかった。徳川家の家紋「三つ葉葵」のある黒塗りの箱に収められていた。縦、横ともに9.2センチ、高さは7.8センチで、重さは2.7キロ。幕府側から命じられた篆刻家の益田香遠らが制作した。「経文緯武」の言葉によって、文武両面の力を示そうとしたと考えられるという。

https://this.kiji.is/404006555961295969?c=39550187727945729
2018.08.23 12:37
今日は何の日?
2018.08.23
8月23日(慶応4年)は、会津戦争で白虎隊士が自刃した日。
10代の少年で編成された白虎隊は、会津を守るために戦い、飯盛山で悲劇的な最期を迎えた。
2018.08.23 12:30

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