奈良時代は、奈良・平城京に都が置かれた710年から平安京に都が遷される794年までの84年間を指す。
この頃の日本に関する書物・歴史史料は『続日本紀』がある。
西暦 | 主な出来事 |
---|---|
710年 | 藤原京から平城京へ遷都 |
711年 | 遷都にともない駅家の整備され都亭駅・岡田駅など設置 |
712年 | 太安万侶(おおのやすまろ)により『古事記』が撰上される 出羽国が設置される |
713年 | 諸国に『風土記』の編纂が命じられる 逓送使方式の導入(駅が混雑するのを防ぐため、防人の引率の使いをリレー式に交替で受け継ぐ方式) 大隅国が設置される |
718年 | 藤原不比等らにより『養老律令』が編纂される |
719年 | 石城国に10カ所の駅馬を設置 |
720年 | 舎人親王(とねりしんのう)により『日本書紀』が撰上される 地方行政を監督する按察使に伝馬の使用を認める 常陸国、遠江国、伊豆国、出雲国、駿河国、伯耆国に駅鈴を与える 諸国から太政官あての公文書を上申する際に、駅馬の使用を許可する |
722年 | 畿内周辺国の国司が上京する際の駅馬の使用が許可される |
723年 | 三世一身法が制定される 因幡国に駅家を増設する |
724年 | 聖武天皇が即位する 陸奥国に多賀城が築かれる |
727年 | 渤海使(ぼっかいし:当時の満州・朝鮮半島にある国家からの使い)が初来日する |
729年 | 2月、長屋王が謀反の嫌疑を受け自害する(長屋王の変) 8月、光明子、立后される 山陽道の駅馬の整備に駅起稲をあてる |
733年 | 国司が離任する際に駅馬の利用が許可される |
734年 | 遣唐使の井真成、長安で没す |
735年 | 吉備真備、玄ムが唐から帰国 |
737年 | 天然痘で藤原四兄弟が相次いで亡くなる |
738年 | 橘諸兄が右大臣に就任する |
740年 | 藤原博嗣の乱が勃発 12月、聖武天皇、恭仁京の建設を開始する |
741年 | 国分寺建立の詔が発布 |
743年 | 墾田永年私財法が制定 大仏造立の詔が発布 |
744年 | 難波宮へしばらく遷都される |
745年 | 紫香楽宮へ遷都されるが、平城京に戻される |
749年 | 陸奥国で黄金が発見される 聖武天皇が孝謙天皇に譲位 |
752年 | 東大寺大仏の開眼供養が行われる |
753年 | 日本の依頼を受け、唐より鑑真が来日する |
754年 | 鑑真が東大寺に戒壇を設置 |
756年 | 聖武天皇が崩御 |
757年 |
養老律令が施行される 橘奈良麻呂の変が勃発 駅家の利用を令の規定通りに厳格化するよう命じる |
758年 | 孝謙天皇が譲位し、淳仁天皇が即位する 藤原仲麻呂、「恵美押勝」の名を賜る 越前国、越中国、佐渡国、出雲国、石見国、伊予国に駅鈴を与える |
759年 | 『万葉集』の最後の歌 出羽国に6カ所、陸奥国に1カ所の駅家を新設する |
764年 | 9月、恵美押勝の乱が勃発 10月、淳仁天皇を廃して淡路に配流し、孝謙上皇が重祚して称徳天皇となる |
765年 | 道教が太政大臣禅師に任じられる |
769年 | 宇佐八幡宮神託事件が起こり、和気清麻呂(わけのきよまろ)が大隅国に流される |
770年 | 称徳天皇が崩御し、道鏡が下野薬師寺別当に左遷される 国司が駅馬を利用して朝廷に参集することを許可する |
771年 | 武蔵国を東海道に編入する |
776年 | 美濃国・菅田駅と飛騨国・伴有駅の間に、新しく下留駅を設置する |
781年 | 桓武天皇が即位する |
784年 | 長岡京へ遷都 |
785年 | 長岡京建設の責任者であった藤原種継が暗殺され、桓武天皇弟早良親王が流罪となる |
788年 | 最澄が比叡山に延暦寺を建立する |
794年 | 平安京へ遷都 |
797年 | 坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命される |
『古事記』と『日本書紀』は奈良時代に編纂された歴史書であるが、その内容は飛鳥時代までしか記されていない。