室町時代の年表です。室町時代とは西暦1336年から1573年までの237年間の時代を指す。1336年に後醍醐天皇が都を追われ足利尊氏が代わりに入京した年から、織田信長によって、十五代将軍の足利義昭が京都を追放されるまでの期間を室町時代という。
西暦 | 主な出来事 |
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1333年 | 鎌倉幕府が滅亡する |
1334年 | 建武の新政が始まる |
1335年 | 中先代の乱、足利尊氏が北条時之を滅ぼす 箱根・竹ノ下の戦い、足利尊氏が新田義貞を破る |
1336年 | 5月、湊川の戦が起こる、足利尊氏が新田義貞(にったよしさだ)と楠木正成軍(くすのきまさしげ)を破る 6月、足利尊氏が京都に入る 9月、光明天皇が即位(室町幕府の成立) 11月、尊氏が御成敗式目を定める 12月、後醍醐天皇が吉野に移る(南北朝の時代が始まる) |
1338年 | 石津の戦い・藤島の戦い(どちらも北朝側が勝利) 北畠親房ら吉野へ帰還 足利尊氏が征夷大将軍に就任する |
1339年 | 北畠親房が『神皇正統記』(歴史書)を著す |
1342年 | 天龍寺船が元(モンゴル)に渡航・貿易 |
1348年 | 四条畷の戦い(楠木正成・南朝と高師直・北朝の争い、北朝の勝利) |
1349年 | 鎌倉府が設置、足利基氏が鎌倉公方に就任 関東管領が設置、主に上杉一族が世襲 |
1350年 | 観応の擾乱(〜1352年:室町幕府の内紛、足利直義と、高師直・尊氏の争い、直義も師直も死去) 前期倭寇 |
1351年 | 倭寇が高麗沿岸に侵入する |
1352年 | 守護が年貢の半分を徴発可能とし、以後、守護大名へと発展 |
1356年 | 一条良基が『莵玖波集』(連歌集)を著す |
1358年 | 足利尊氏が死去 |
1359年 | 足利義詮が征夷大将軍(室町幕府2代将軍)に就任 |
1367年 | 高麗(こうらい)が倭寇の禁止を要請する |
1368年 | 足利義満が3代将軍に就任する |
1369年 | 明の洪武帝(こうぶてい)が倭寇の禁止を要請する |
1370年 | この頃までに『太平記』がまとめられる |
1374年 | 観阿弥(かんあみ・かんなみ)・世阿弥(ぜあみ)が新熊野神社で猿楽(さるがく:能の事)を上演する |
1378年 | 足利義満が「花の御所(はなのごしょ)」に移る |
1379年 | 康暦の政変、細川頼之(室町幕府管領)が失脚 |
1382年 | 足利義満が相国寺を建立 |
1391年 | 明徳の乱、将軍権力が強化 |
1392年 | 南北朝が統一される |
1394年 | 足利義満が将軍職を義持に譲る |
1397年 | 足利義満が北山に金閣建立 |
1398年 | 室町幕府が三管領・四職の制を整備 |
1399年 | 応永の乱 |
1400年 | 世阿弥が「風姿花伝(ふうしかでん)」(第三篇まで)を著す |
1401年 | 足利義満が祖阿(そあ)らを明へ遣わす、明と国交樹立 |
1402年 | 8月、足利義満が倭寇を禁止する 9月、明使が「日本国王源」宛の国書を送る |
1404年 | 日明貿易(勘合貿易(かんごう)を開始する |
1411年 | 明との国交が一時断絶 |
1412年 | 南蛮船が若狭小浜に来航 |
1416年 | 上杉禅秀の乱 |
1419年 | 李氏朝鮮が倭寇対策として対馬を襲撃する(応永の外寇(おうえいのがいこう)) |
1421年 | 飢饉、疫病流行 |
1423年 | 足利義量(よしかず)が将軍に就任する |
1428年 | 正長の土一揆(しょうちょうのどいっき)が起こる |
1429年 | 足利義教(よしのり)が将軍に就任する
※悪御所の綽名で呼ばれ、苛烈な側面を持っていた 尚巴志王(しょうはしおう)」が琉球王国を建国する 播磨の土一揆が起こる |
1431年 | 京畿飢饉 |
1432年 | 勘合貿易が再開される |
1434年 | 京都大火、民家280町焼ける 興福寺領の百姓が渡唐段銭に抵抗 |
1435年 | 永享の山門騒乱(足利義教が延暦寺の有力僧を誘い出して斬首、絶望した僧侶たちが2月に根本中堂に火を放って焼身自殺した) |
1438年 | 永享の乱(えいきょうのらん)が起こる 飢饉、疫病流行し死者多数 |
1439年 | 足利学校が再興 |
1441年 | 嘉吉の乱(かきつのらん)で足利義教が謀殺される 嘉吉の徳政一揆 嘉吉の徳政令が発布される |
1442年 | 足利義勝が将軍に就任する |
1443年 | 足利義政が将軍に就任する |
1445年 | 幕府、土倉の納税忌避を禁じる |
1446年 | 大洪水で近江国瀬田大橋流失 |
1448年 | 洪水で京都五条大橋流失 |
1449年 | 山城国大地震、寺社が多く倒壊 |
1451年 | 義政が北小路第に学問所をつくる |
1452年 | 細川勝元(かつもと)が管領に就任する |
1454年 | 畠山義就(はたけやまよしなり)・政長(まさなが)の家督争いが起こる |
1455年 | 享徳の乱、足利成氏(しげうじ)が今川範忠(のりただ)に敗れ、下総古河へ逃れる |
1456年 | 遠江国蒲御厨の百姓が土倉を襲う |
1457年 | 太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築城する コシャマインの戦い(現在の北海道、渡島半島)、アイヌが和人の進出に対して蜂起する |
1459年 | 大和・山城両国で暴風雨 |
1460年 | 諸国大風・洪水、大飢饉となる |
1461年 | 大飢饉、死者で鴨川が埋まる |
1467年 | 応仁の乱(おうにんのらん)が勃発 |
1470年 | 足利義政が室町殿で猿楽を催す |
1471年 | 蓮如が越前に吉崎御坊を建立する |
1474年 | 一休宗純(いっきゅうそうじゅん)が大徳寺の住持(じゅうじ)に就任する |
1477年 | 応仁の乱が終結する 山城の土一揆が起こる |
1479年 | 蓮如が山科(やましな)に本願寺を建立する |
1480年 | 京都で徳政一揆が起こる |
1485年 | 山城国一揆が始まる(1493年まで) |
1487年 | 長享の乱(1505年まで) |
1488年 | 加賀の一向一揆が始まる(1580年まで) |
1489年 | 足利義政が東山に銀閣を建てる |
1493年 | 北条早雲が伊豆の堀越公方を滅ぼす |
1495年 | 北条早雲が小田原城を奪う |
1496年 | 蓮如が石山本願寺を建立 |
1497年 | 陸奥国飢饉 |
1500年 | 後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)が崩御するが、葬儀も満足に行えなかった |
1503年 | 諸国で干魃、飢饉 |
1505年 | 幕府が京都の盆踊りを禁止 |
1510年 | 三浦の乱 |
1523年 | 寧波の乱(細川・大内両氏の戦い) |
1524年 | 大宮伊治によって御成敗式目の刊本が出版 |
1536年 | 天文法華の乱(延暦寺の僧徒が京都の法華寺院を焼きつくす) 伊達稙宗「塵芥集」を制定 |
1539年 | 京畿・諸国に大雨、洪水 |
1541年 | 朝鮮王が大内義隆に儒書・漏刻を贈る |
1542年 | 斎藤道三(どうざん)が土岐氏を追放し美濃国を奪う |
1543年 | ポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲が伝わる(鉄砲伝来) |
1547年 | 武田晴信(信玄)が「甲州法度」制定 |
1549年 | 7月、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する(キリスト教伝来) 11月、松平竹千代(徳川家康)が、今川氏の人質となる |
1550年 | ザビエルが肥前国平戸に移る |
1551年 | 勘合貿易の廃絶 ザビエルが豊後からインドへ |
1552年 | 宣教師ガーゴが大友義鎮に謁見 |
1553年 | 川中島の戦いが起こる(上杉謙信と武田信玄が1564年まで、計5回も戦う) |
1555年 | 厳島の戦いで毛利元就が陶晴賢(すえ はるかた)を破る ガーゴが平戸で布教する |
1556年 | 宣教師ガスパル・ヴィレラが豊後に入る |
1557年 | 毛利元就が大内義長を長門勝山城に滅ぼす |
1558年 | 足利義輝が三好長慶と和睦して入京する |
1559年 | 織田信長が上洛して足利義輝に謁見 ヴィレラが上洛する |
1560年 | 桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を破る |
1561年 | 長尾景虎(上杉謙信)が関東管領となり上杉氏を継ぐ |
1562年 | 信長と松平元康(徳川家康)が清洲城で同盟を結ぶ 大村純忠が肥前国横瀬浦を開港 |
1563年 | 大村純忠が受洗(キリシタン大名の始まり) 三河一向一揆蜂起 |
1565年 | 永禄の変、三好義継・松永久秀が足利義輝を暗殺 ヴィレラとルイス・フロイスが京都から追放される |
1567年 | 信長が美濃加納楽市場に制札掲ぐ |
1568年 | 信長が足利義昭を奉じて上洛を果たす |
1570年 | 姉川の戦いで、織田・徳川連合軍が浅井・朝倉を破る ポルトガル船が長崎で初の交易 |
1571年 | 信長による延暦寺焼き討ち |
1572年 | 三方ヶ原の戦い(徳川家康が武田信玄に敗北) |
1573年 | 信長が足利義昭を河内へ追放したため、室町幕府が滅亡する |