鎌倉時代の年表。鎌倉時代とは西暦1185年から1333年までの148年間にかけて関東・鎌倉において、征夷大将軍の源氏、執権 北条氏によってに政治が行われていた時代を指す。
西暦 | 主な出来事 |
---|---|
1185年 | 壇ノ浦の戦いで平家が滅亡、源頼朝が諸国に守護・地頭を設置する |
1189年 | 源義経が自害する 奥州合戦にて源頼朝が奥州藤原氏を討伐する。 |
1191年 | 栄西が帰国し臨済宗を広める |
1192年 | 源頼朝が征夷大将軍に就任する |
1193年 | 宋銭の流通がいったん禁止される |
1198年 | 後鳥羽天皇が譲位し、土御門天皇が即位 法然が『撰択本願念仏集』を著す |
1199年 | 1月、源頼朝が落馬で亡くなり、この源頼家が家督を継承、北条時政ら有力御家人による「13人の合議制」が始まる 梶原景時の変、景時が多数の御家人から弾劾・追放されたのち殺害される 二毛作が開始される |
1201年 | 建仁の乱(城長茂ら城氏一族が起こした鎌倉幕府への反乱、幕府によって鎮圧された) |
1202年 | 源頼家が将軍に就任する |
1203年 | 源頼家が鎌倉から追放され、伊豆国修善寺で幽閉される 源実朝が将軍に就任する 北条時政が執権に就任する |
1204年 | 源頼家と一幡(頼家の子)が殺害される |
1205年 | 時政が、平賀朝雅(ひらがともまさ)の将軍擁立に失敗し出家する(牧氏の変) 北条義時が執権に就任する 藤原定家らが『新古今和歌集』を編纂 |
1213年 | 源実朝が自身の歌集『金槐和歌集』を編纂 |
1219年 | 源実朝が頼家の子である公暁(こうぎょう)に暗殺される |
1220年 | 慈円が『愚管抄』を著す(この時代の事が記された史書で、この時代でもっと重要・信頼される歴史書) |
1221年 | 5月、承久の乱が勃発(幕府が乱に勝利) 6月、京都に六波羅探題が設置される 7月、後鳥羽上皇が隠岐に配流される |
1224年 | 親鸞(しんらん)が浄土真宗を開く 北条義時が死去し、北条泰時が執権に就任する 北条時房が連署に任命される(鎌倉幕府の役職、実質上の「副執権」) |
1225年 | 北条政子が死去 評定衆が設置(行政・司法・立法のすべてを行う最高機関) |
1226年 | 藤原頼経が第4代将軍に就任 |
1227年 | 道元が曹洞宗を開く |
1230年 | 寛喜の飢饉(鎌倉時代の最大規模の大飢饉、京都・鎌倉には流民が集中し市中に餓死者があふれた) |
1232年 | 北条泰時が御成敗式目(貞永式目)を制定する |
1235年 | 後鳥羽上皇の還京提案を北条泰時が拒否 藤原定家が『小倉百人一首』を著す |
1239年 | 後鳥羽上皇が隠岐の配所にて崩御 |
1242年 | 北条泰時が死去し、北条経時が4代目執権となる |
1244年 | 藤原頼嗣が第5代将軍に就任する 道元が永平寺を建立 |
1246年 | 北条経時が死去し、北条時頼が5代目執権に就任する |
1247年 | 宝治合戦(鎌倉幕府の内乱、執権北条市と外戚安達氏らが御家人三浦氏を滅ぼす) |
1249年 | 引付衆設置(引付に配属されて訴訟審理の実務にあたる幕府の職) |
1252年 | 鎌倉大仏(阿弥陀如来像)が建立する 宗尊親王が第6代将軍に就任する |
1253年 | 日蓮が日蓮宗を開く |
1256年 | 北条長時が6代目執権に就任 |
1260年 | 日蓮が「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」を著す |
1264年 | 北条政村が7代目執権に就任する |
1268年 | 北条時宗が8代目執権に就任する モンゴル帝国・元からの服属要求を拒否 |
1272年 | 二月騒動(北条氏一門の内紛、鎌倉で名越流北条氏の名越時章・教時兄弟、京で北条時輔が討伐され、時宗の得宗家の権力強化) |
1274年 | 元寇、モンゴル帝国の襲来 元軍が対馬の小茂田浜や博多に上陸する(文永の役) 一遍(いっぺん)が時宗(じしゅう)を開く |
1275年頃 | 北条実時が金沢文庫を設立(武家の文庫としては日本最古) |
1276年 | 元寇に備えて北九州沿岸に防塁が築かれる |
1280年 | 『十六夜日記』(藤原為家の側室・阿仏尼によって記された紀行文日記、鎌倉時代の所領紛争のようすを伝える貴重な史料) |
1281年 | 元軍、二度目の来航(弘安の役) |
1282年 | 無学祖元が円覚寺建立(元寇での戦没者追悼のため) |
1284年 | 北条貞時が第9代執権となる |
1285年 | 得宗専制化 円覚寺舎利殿が建立 |
1289年 | 久明親王が第8代将軍に就任する |
1291年 | 南禅寺が建立 |
1293年 | 鎮西探題を設置する 鎌倉大地震(M7以上と推定、永仁の関東地震、鎌倉強震地震、永仁鎌倉地震、建長寺地震などとも呼ばれる) 平禅門の乱 『蒙古襲来絵詞』が描かれる |
1297年 | 永仁の徳政令が発布される(9代執権・北条貞時が発令した日本で最初とされる徳政令) |
1299年 | 『一遍聖絵(一遍上人絵伝)』が描かれる(全12巻の絵巻で、当時の暮らしが描かれている貴重な史料) |
1300年頃 | 鎌倉幕府が『吾妻鏡』を編纂(鎌倉幕府の正式な歴史書、内容は極めて北条氏ひいきである) |
1301年 | 北条師時が10代目執権に就任する |
1305年 | 嘉元の乱(鎌倉幕府内での騒乱、北条宗方の乱とも呼ばれる) |
1308年 | 守邦親王が第9代将軍に就任する |
1311年 | 北条宗宣が11代目執権に就任する |
1312年 | 北条煕時が12代目執権に就任する |
1315年 | 北条基時が13代目執権に就任する |
1316年 | 北条高時が14代目執権に就任する |
1317年 | 文保の和談(両血統の天皇が交互に即位する(両統迭立)ことを定めたとされる合意、否定説あり) |
1318年 | 後醍醐天皇が即位する |
1321年 | 後醍醐天皇が親政を開始する |
1324年 | 後醍醐天皇の倒幕計画が露見する(正中の変(しょうちゅうのへん)) |
1326年 | 北条貞顕が15代目執権に就任する 北条守時が16代目執権に就任する |
1331年 | 5月、後醍醐天皇が再び倒幕を計画する(元弘の変(げんこうのへん)) 9月、楠木正成が挙兵する、幕府が光厳天皇(こうごんてんのう)を擁立する |
1332年 | 3月、後醍醐天皇が隠岐に配流される |
1333年 | 2月、後醍醐天皇が隠岐を脱出する 5月、足利尊氏が六波羅探題を攻略する、新田義貞が鎌倉を攻略し鎌倉幕府が滅亡する 6月、記録所が復活する |
1334年 | 建武の新政が始まる |
1336年 | 5月、湊川の戦が起こる、足利尊氏が新田義貞と楠木正成軍を破る 12月、後醍醐天皇が吉野に移る(南北朝の時代が始まる) |
1338年 | 足利尊氏が征夷大将軍に就任する |