御恩と奉公

御恩と奉公

鎌倉幕府の主従関係は、土地によって支えられていた。
幕府は御家人に対して、「御恩」によって、領土を新たに与えるか、先祖代々の領土を保証し、御家人は幕府に対して、軍役や様々な警護・警察業務による「奉公」を行った。

土地で結ばれた将軍と御家人の関係

鎌倉幕府を支える基盤となったのは、将軍と御家人の関係である。
それ以前には、主君に臣従する従者の事を「家人(けにん)」と呼んだが、政治の実権が鎌倉の将軍に移ってから、将軍の家人は特に敬称を付けて「御家人」と呼ばれるようになった。
御家人の称は、次第に特定の身分を指すものとして定着していった。
御家人ではない武士は非御家人と呼ばれ、明確に区別された。

本領安堵と新恩給与

非御家人の武士が御家人になるためには、自分の名前を書いた「名簿(みょうぶ)」を捧げて将軍に見参(けんざん)する必要があった。
御家人になると、将軍から父祖伝来の領地支配を保証される「本領安堵(ほんりょうあんど)」か、新たな領地を与えられる「新恩給与(しんおんきゅうよ)」を受ける事が出来た。

御恩と奉公

御家人は、将軍から所領を安堵され、荘園・公領の地頭などに任じられる「御恩」。
それに対して、戦時は合戦に参加する軍役、平時は内裏(だいり)や幕府の警護にあたる京都大番役、鎌倉番役、あるいは内裏や幕府などの修築をする関東御公事(かんとうおんくじ)など、様々な「奉公」を行う義務を負った。

幕府と御家人は、互いに支え合っていた

このように、将軍と御家人は御恩と奉公の関係を通じて、双務契約的な主従関係を形成していた。

軍事・警察権を持つ守護と荘園を管理する地頭

1185年、源頼朝は反乱を起こした弟の義経を探索する名目で、各地に守護・地頭を任命する権限を得た。

守護の役目

守護は国ごとに置かれる地方長官の事で、有力な御家人を任命し、軍事・警察にあたらせた。
しかし、諸国には朝廷が任命した国司もいたので、国司と守護による二元支配の形となった。

地頭の役目

地頭年貢の徴収・納入、土地の管理、治安維持を任務とし、荘官とほぼ共通する役割を果たす存在で、当初は平家没官領(平氏から没収した所領)などを対象に、御家人への御恩として任命された。
以後、幕府勢力の拡大にともない、地頭と荘園領主との対立が激化していった。


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