埋葬の儀礼は縄文時代から始まり、仏教などの各宗教の教義に引き継がれた。
そして、死者を丁寧に葬った縄文人の埋葬の慣習は、現代の埋葬にも息づいている。
旧石器時代の移動生活から、縄文時代の定住生活に変わった事で、縄文人には死者を墓地に埋葬する習慣が生まれた。
旧石器時代にも死者を土に埋める習慣はあったかも知れないが、おそらく洞穴や岩陰に遺体を放置したとみられる。
縄文時代には各地で定住集落が営まれたが、集落や周辺から少し離れた場所に墓地が作られるようになった。
しかし、なかには中央広場の近くに葬られた例もあり、墓の形式は地域や時代によって異なる。
多くの縄文人は地面に穴を掘って作った「土坑墓」に葬られたが、北海道や東北地方では、掘った地面の周囲に土を盛り上げて作った「周堤墓」も見付かっている。
また、縄文人の骨は貝塚から発掘される事もある。
貝塚といえば、古くは「貝殻などを捨てるゴミ捨て場」と考えられていたが、現在は自然の恵みや道具類、動物などを弔い、再生を祈る場所として認識されている。
今よりも死を身近に感じていた縄文人は、「死んでも魂が別の命に蘇って生き返る」と信じ、再生の場である貝塚に葬られていたのかも知れない。
因みに、この頃は一部の呪術師以外は共同墓地に葬られていた。
これは、縄文社会が身分の差や貧富の違いがない平等な社会だった事を表れとも取れる。
死者を埋葬する方法としては、腰や膝、脚部などの関節を曲げる屈葬と、身体を伸ばしたまま埋葬する伸展葬がある。
屈葬では、折り曲げた脚が開かないように両脚を紐で縛ったり、遺体の胸の上に石を置いたモノもあった。
わざわざ身体を折り曲げた理由は定かではないが、研究によって次のような説が提示されている。
遺体は土中に埋葬される事もあれば、土器や甕に納めて葬る、火葬で骨にしてから土中に埋めるなど、複数の葬り方があった。
また、埋葬した骨を取り出し、洗ってから再び土器などに入れ、逆さにして埋葬する「再葬」という葬方も確認されている。
埋葬方法が定まっていないのは、縄文人が死に対して恐怖や不安、再生への祈りなど、様々な感情を抱いていたからだと考えられている。
今日では当たり前となっている埋葬の儀礼も縄文時代に生まれ、現在に至っている。