荘園の産業

荘園と地域の特産品

地域の個性が出ていた荘園

荘園の農業は平地と山地、政治中枢付近の荘園と遠方地方の荘園によって大きな違いがあった。
時代を遡るほど農業環境は原始的であったため、自然の状態によって農業も左右された。
農業の一番最初の作業は平地を造り上げる事からだっただろう。

荘園の稲作

租税の基軸になったのは米で、朝廷では新嘗祭や大嘗祭などの稲作儀礼を執り行われた。
稲の品種の使い分けも行われ、鎌倉時代には早稲(わせ)・中稲(なかて)・晩稲(おくて)の三種類の稲が用いられた。

西国で普及した大唐米

鎌倉時代の後期には大唐米(占城稲)が導入され、旱害(日照りによる害)を受けやすい西国を中心に普及した。
大唐米とは、インドシナ半島南部のチャンパ王国を原産地とする稲で、小粒で細長だが、短期間で収穫でき、乾燥に強く、痩せた土地でもよく育つ品種だ。
ただし、粘り気はなく食味が悪く、他の米に比べて安価で取引された。

生産された産物

栽培・採取・生産されたもの

畠作では麦・蕎麦・大豆・小豆・大角豆・栗・黍・稗・芋・胡麻・牛蒡・胡瓜・韮・葱・豌豆などが栽培された。
また、手工業産品の原材料として灯明油の原料である荏胡麻、染料になる紅花、畳や蓆を作る藺草などが栽培された。

山川海の活用

山地で採取される楮や三椏からは紙(和紙)が生産され、漆も採取された。
また、武士が狩りをする狩倉を山中に設けることもあった。
川では漁が行われ、上流から泳いで来た魚を捕る簗を設けたりもした。
沿岸部の荘園では、漁撈や製塩が行われる浦が付属することがあった。

荘園では年貢貢納の義務

割合は荘園ごとに違っていた

田畠を耕作する者は、荘園領主に対して生産物の一部を年貢として貢納する義務を担っていた。
田地1反あたり2〜7斗ほどの米が田地の良否に応じて課された。
田畠1反あたりの年貢高を斗代(とだい:土代)といい、その割合は荘園によって異なった。

枡の大きさも荘園ごとに違っていた

荘園によって枡の大きさが異なっていた。
平安時代に延久の荘園整理令を出した後三条天皇は、宣旨枡(延久宣旨枡)という公定枡を定めた。しかし、その後の領域型荘園ではどの升を使うかは自由だった。そのため、様々な枡が乱立する事態となった。
荘園の帳簿では、異なる枡の間の数値を換算する延定と呼ばれる計算がしばしば行われた。

秀吉の太閤検地で升が統一

豊臣秀吉の「太閤検地」によって、「一升」をはかるのに「京枡」を使用することが基準となった。
これによって、現代にも用いられる「一升」という単位が定着した。

米以外の産物を納めた荘園

貢納義務が産業を育てた

米は運搬が大変だった

年貢は米や麦で納めるのが一般的だったが、それ以外で納める事も可能であった為、各地の荘園で産業が育まれていった。
しかし、都から近い近畿地方、海運が使える瀬戸内海周辺や九州の荘園では、主に米で納められた。
米は重く運搬が大変だった為、都の近くや楽に運搬が出来る地域は米で納めていた。
また、都としても日本全国から米ばかり送られても食べ切る事が出来なかった為、米は一部地域から貢納してもらえば間に合っていた。

絹布や麻布

逆に、絹布や麻布など、現物貨幣として用いられる産品が納められる事もあった。
美濃や尾張では、絹織物を年貢として納める荘園が多かった。
布や食料などの必需品は年貢の対象になる事が多く、むしろ貨幣こそ着れない食えないで要らない事が多かった。

平安時代には各地に特産品が誕生

平安時代の『新猿楽記』では、阿波絹・美濃八丈絹・武蔵鎧・能登釜・但馬紙などが諸国の特産として紹介されている。
良質な麻布としては、越後布・越中布・信濃布などが知られる。

塩や鉄も貢納の対象

瀬戸内海の島々では、塩を年貢として納める荘園が多かった。
また、不純物が少ない真砂砂鉄が採れる中国地方の山間部では、鉄を年貢として納める荘園もあった。
伊豆でも砂鉄が産出され、伊勢神宮に鉄を納めた記録が残っている。

労働も年貢の代わりとなった

年貢以外の雑税は公事と呼ばれたが、これには荘園領主が必要とする物品、荘官の直営地を耕作する労務の提供、荘官の供応や食事の世話などがあった。
また、荘園領主の要請で、臨時の公事を課される事もあった。
貢納物や納める量は荘園によって異なった。

茣蓙・畳・白砂など

例えば大規模荘園群の長講堂領では、長講堂領の年中行事などに必要な物品や労役を、76ヵ所の荘園・末寺の公事に割り当てていた。
長講堂領では正月の行事にあわせて御簾・茣蓙・畳が納められ、他にも、御八講では地面を舗装する為の白砂が進上された。

菓子・果物・窯業・木工・製鉄

公事には地域性がある品目もあり、7月7日と9月9日の節句で振舞われる菓子や果物は、丹波や丹後の荘園が納めていた。
白鉢や酒瓶などは窯業生産が盛んな尾張や美濃の荘園、木製食器(合子・盤・鉢など)は木地師(轆轤を用いる木工職人)の活動が盛んな越前、加賀、丹後、伯耆の荘園が納めた。
中世の能登では製鉄が盛んで、鉄製の斗納鍋や鉄輪などを納めていた。


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