江戸時代、幕府は街道を整備するとともに、全国に関所を設置した。
江戸時代初期には、豊臣側の残党などの脅威もあって、関所は軍事的な意味合いが強い施設として機能した。
やがて平和な時代になると、治安維持の役割を果たす警察的機能を担うようになっていった。
とくに鉄砲と女性は厳しく取り締まり、「入り鉄砲に出女」といわれた。
数多く置かれた関所の中でも、東海道の箱根・新居、中山道の碓氷・福島はとくに取り締まりが厳しかった関所として知られた。
江戸時代260年にわたり機能したシステムだが、倒幕後に廃止となった。
関所では、大量の武器が江戸に持ち込まれないよう、また各藩主が江戸に人質として残した奥方が国元に逃げ帰らないよう、鉄砲と女性の出入りを厳しく取り締まった。
これを「入り鉄砲に出女」といい、幕府の重要な監視項目であった。
当初は軍事的要衝でつくられた関所は、街道を行き来する人の荷物検査を担う警察的な役割に変化した。
関所では独自の取締方法があった。
女性は素性や旅の目的、行き先、容姿の特徴などが書かれた手形を持参しなければ通れなかった。
容姿に関しては年代、髪量(ハゲの有無)、ホクロや出来物跡、お灸の跡などを確認していたようだ。