沖縄(琉球)の年表
沖縄(琉球)の歴史を年表形式に掲載する。
753年の鑑真の沖縄に漂着から日本復帰まで。
先史時代〜三山時代
西暦 | 出来事 |
753年 |
鑑真を乗せた遣唐使船が阿児奈波(あこなは、現在の沖縄本島)に漂着。 |
1187年頃 |
舜天が即位したといわれている。中山に都を定めたと伝わる。 |
1250年 |
飢饉で人民の半数が死亡。当時の王義本から英祖への禅譲に繋がる |
1260年頃 |
英祖が即位したといわれている。伊祖城を構えたと伝わる。 |
1265年 |
琉球に仏教伝来、浦添に極楽寺創建。 |
1317年 |
「密牙古人」が中国に漂着する(「元史」、「温州府志」)。 |
1350年頃 |
察度が中山王に即位したといわれている。 |
1368年 |
波上山に護国寺創建。 |
1370年〜1380年代 |
北山、中山、南山の各王が相次ぎ明に朝貢する。後に冊封を受け、進貢貿易開始。なお、年次は諸説あり定まらない。 |
1372年(洪武5年) |
一説には察度が明に入貢したとある。 |
1390年 |
宮古の与那覇勢頭豊見親、中山に入貢する。 |
1392年頃 |
ビン人三十六姓(久米三十六姓)が帰化したといわれている。 |
1404年(永楽2年) |
明の永楽帝が中山王武寧に冊封使を遣わす。(『球陽』) |
1406年(永楽4年) |
尚思紹王が中山王に即位する。第一尚氏王統開始。 |
1414年 |
中山王尚巴志、室町幕府に遣使する。 |
1420年(永楽18年) |
護佐丸が座喜味城を築く。 |
琉球王国時代
第一尚氏王統
西暦 | 出来事 |
1429年(宣徳4年) |
尚巴志王が三山統一を果たす。 |
1447年 |
尚思達王が奄美大島を制圧。 |
1454年(景泰5年) |
志魯・布里の乱。首里城が焼け落ちる。 |
1458年(天順2年) |
護佐丸・阿麻和利の乱が起きる。万国津梁の鐘鋳造。 |
1466年 |
尚徳王が喜界島を制圧。 |
第二尚氏王統
西暦 | 出来事 |
1470年(成化6年) |
尚徳王の家臣の金丸(尚円王)が即位する。第二尚氏王統開始。 |
1477年 |
朝鮮人が与那国島に漂着。帰途に立ち寄った先島、沖縄諸島の島々の様子を本国に伝える。 |
1493年 |
この頃琉球と「日本甲船」が奄美で紛争となり、琉球が勝利したと記されている。 |
1500年 |
石垣島でオヤケアカハチの反乱、尚真王が送った琉球軍によって制圧。この頃、宮古島の仲宗根豊見親は与那国島のサンアイイソバを攻める。 |
1501年(弘治14年) |
玉陵を建てる。 |
1511年 |
尚真王が久米島を制圧。 |
1522年 |
与那国島の鬼虎、宮古島の仲宗根豊見親に征伐さる。 |
1531年 |
『おもろさうし』第1巻を編集。 |
1532年 |
宮古島で大嶽城の変起こる。 |
1542年(嘉靖21年) |
陳貴事件が起こる。 |
1570年 |
東南アジア貿易を廃止。 |
1571年 |
尚元王が奄美大島の反乱を制圧。 |
1590年 |
島津義久、関東平定を成した豊臣秀吉への上洛を尚寧王に進請。 |
1592年 |
豊臣秀吉が朝鮮出兵のため琉球に賦役を命ずる。 |
1601年 |
熊普達事件が起こる。 |
1604年 |
野国総管、甘藷(サツマイモ)を中国よりもたらす。なおこの頃に先島諸島にも各島ばらばらに伝来するが、他の島には波及せず。 |
1609年 |
薩摩藩の侵攻を受け、支配下に入る(→琉球侵攻)。 |
1611年 |
儀間真常、木綿の織法を日本よりもたらす。 |
1623年 |
儀間真常、黒糖の製法を中国よりもたらす。 |
1624年 |
スペインのルエダ神父が八重山に漂着、八重山キリシタン事件起こる。 |
1625年 |
大津波により石垣島に被害 |
1631年 |
薩摩藩が琉球在番奉行を置く。 |
1637年 |
先島諸島に人頭税を課す(〜1903年)。 |
1648年 |
八重山・波照間島の農民が「大波照間島」に逃散したと伝わる。 |
1650年 |
羽地朝秀『中山世鑑』を著す。 |
1660年(順治3年) |
火災により首里城正殿が焼け落ちる。 |
1665年 |
羽地朝秀改革を開始。大地震起こる。 |
1701年 |
蔡鐸『中山世譜』を著す。 |
1709年(康熙48年) |
「丑年の大飢饉」当時人口20万人中3,199人の死者を出す。火災により首里城が焼け落ちる。 |
1719年 |
玉城朝薫、はじめて「組踊」を上演する。 |
1728年 |
蔡温、三司官に任ぜらる。 |
1745年 |
伊差川佑実『球陽』を著す。 |
1771年 |
八重山地震により明和の大津波。先島諸島(宮古・八重山)に甚大な被害。死者・行方不明者約12,000人・家屋流失2,000戸以上。 |
1772年 |
八重山で凶作、疫病により5,000人弱の死者。 |
1776年 |
八重山で飢饉、疫病により4,000人弱の死者。人口は八重山地震前の3分の1に減少。 |
1786年 |
琉球科律が制定される。 |
1802年 |
八重山で疫病により400人程の死者。 |
1816年 |
イギリス海軍アルセスト号、ライラ号の来航。飢饉により1,563人の死者。 |
1825年 |
飢饉により3,358人の死者( - 1827年)。 |
1832年 |
飢饉により2,455人の直接死者、病死者1,400人を数える。 |
1838年 |
八重山で疫病により2,000人程の死者。 |
1846年 |
イギリス人宣教師ベッテルハイムが来琉。 |
1849年 |
割重穀事件起こる。 |
1851年 |
ジョン万次郎が来琉。 |
1852年 |
宮古島飢饉により3,000人の死者。 |
1853年 |
アメリカ海軍のペリー提督が来航する。翌年琉米修好条約に調印。 |
1854年 |
宮古島、久米島で熱病が流行し600人程の死者。多良間騒動事件。 |
1855年 |
フランス帝国のニコラ・ゲランが来航。琉仏修好条約に調印。 |
1857年 |
オランダ王国と琉蘭修好条約に調印。 |
1859年 |
牧志・恩河事件が起こる。 |
1860年 |
落書事件が起こる。 |
1871年 |
台湾で宮古島島民遭難事件。 |
1872年(明治5年) |
日本政府が琉球藩を設置(琉球処分)、尚泰王を「琉球藩王」に封ずる。 |
1873年(明治6年) |
宮古島沖にドイツの商船エル・イ・ロベルトソン号が座礁。 |
琉球処分後
西暦 | 出来事 |
1879年(明治12年) |
廃藩置県により、琉球藩は廃止され尚泰は東京に連行、その後沖縄県が設置。これにより正式に琉球王国は消滅する。本島でのコレラ流行により6,400人程の死者を出す。 |
1881年(明治14年) |
上杉茂憲沖縄県令着任。教育普及、人材育成、技術改良、人身売買禁令など旧弊の改革に着手。1883年(明治16年)県令解任の際、金壱千五百圓の私財を奨学資金として県に寄付。 |
1886年(明治19年) |
県下で義務教育令施行。 |
1892年(明治25年) |
奈良原繁、沖縄県知事( - 1908年(明治41年))に着任。中村十作、宮古で真珠養殖事業を興す。 |
1893年(明治26年) |
「琉球新報」創刊。 |
1894年(明治27年) |
日清戦争開戦( - 1895年)。 |
1898年(明治31年) |
間切島規程(吏員規程、間切島会規程)施行[11]。県下で徴兵令施行(先島は1904年より) |
1899年(明治32年) |
沖縄県土地整理法施行。戦前の沖縄版地租改正に着手。 |
1903年(明治36年) |
土地整理事業完了。先島諸島の人頭税廃止。旧慣温存政策の終結。 |
1904年(明治37年) |
沖縄明治大干魃(「ナナチチヒャーイ」)。日露戦争下であったが明治天皇より下賜金二千五百圓(当時)と救済食糧を受賜。 |
1905年(明治38年) |
久松五勇士、ロシアバルチック艦隊の通報に尽力す。 |
1908年(明治41年) |
間切制が廃止され、「沖縄県及び島嶼町村制」が施行される。1920年(大正9年)に指定解除。 |
1909年(明治42年) |
沖縄県議会設置。 |
1912年(明治45年/大正元年) |
衆議院議員総選挙実施。ただし先島諸島へは1919年(大正8年)に適用。 |
1914年(大正3年) |
首里−那覇間に電車開通(→沖縄県の鉄道も参照)。 |
1917年(大正6年) |
「先島新聞」創刊。 |
1919年(大正7年) |
宮古でコレラ流行、900人の死者を出す。 |
1921年(大正10年) |
皇太子裕仁親王、訪欧の途中首里、那覇に立ち寄り、最初で最後の訪沖となる。「八重山日報」創刊。 |
1922年(大正11年) |
民俗学者ニコライ・ネフスキー、宮古を訪問。 |
1940年(昭和15年) |
宮古・伊良部渡船伊良部丸遭難事故。73名の死者を出す。 |
1942年(昭和17年) |
NHK沖縄放送局、ラジオ放送開始。 |
アメリカ統治時代
西暦 | 出来事 |
1945年(昭和20年) |
沖縄戦により全島がアメリカ軍の占領下に置かれる。9月20日、沖縄本島の収容所で行われた市会議員選挙で、女性参政権が認められ選挙が行われた。 |
1948年(昭和23年) |
B円以外の通貨流通が禁止される。 |
1951年(昭和26年) |
琉球大学が開学。 |
1952年(昭和27年) |
琉球政府が設置される。 |
1958年(昭和33年) |
B円がアメリカドルに切り替えられる。 |
1965年(昭和40年) |
佐藤栄作首相沖縄訪問。 |
1967年(昭和42年) |
沖縄放送協会、テレビ放送開始。 |
1968年(昭和43年) |
行政主席選挙実施。 |
1970年(昭和45年) |
沖縄復帰を見込み、日本国政参加選挙実施。コザ暴動が起こる。 |
1972年(昭和47年) |
5月15日 日本に復帰する。(→沖縄返還) |