日本書紀ゆかりの地

『日本書紀』ゆかりの地

現存最古の正史である『日本書紀』。
その、日本書紀の時代を生きた天皇や豪族たち、さらには地上に降りて来た神々、彼らにゆかりある地をまとめていく。

『日本書紀』冒頭

『日本書紀』冒頭

高松塚古墳(たかまつづかこふん)
色鮮やかな女子群像の壁画
高松塚古墳(円墳)は終末期の円墳で、近年、藤原京の時代に造られた事が確認された。
被葬者は天武天皇の皇子、朝鮮半島系の王族、などの説がある。
奈良県高市郡明日香村平田
天武・持統天皇陵:檜隅大内陵(てんむ・じとうてんのうりょう:ひのくまのおおうちのみささぎ)
律令国家体制を確立した天皇の合葬墓
はじめに天武天皇が埋葬され、後から火葬された持統天皇の遺骨が合葬された。
被葬者が特定されていない古代の天皇陵がとても多いなか、被葬者が確実に特定されている天皇陵。
古い記録では、横穴式石室の中に天武のモノとみられる漆塗りの棺と、持統天皇のモノらしい金銅製の蔵骨器が納められていたという。
奈良県高市郡明日香村野口
石舞台古墳(いしぶたいこふん)
石室の巨大な石積みが残る、蘇我氏の最盛期を築いた馬子の墓
蘇我馬子の邸宅があったとされる地に近い事から、その墓であったのではと考えられている。
盛土は既に失われており、横穴式石室が露呈している。
奈良県高市郡明日香村島庄
飛鳥浄御原宮跡:伝飛鳥板蓋宮跡(あすかのきよみはらのみやあと:でんあすかいたぶきのみやあと)
複数の宮殿が積み重なった飛鳥の政治の中枢
舒明天皇の飛鳥岡本宮の上に、皇極天皇の飛鳥板蓋宮、その上に斉明天皇の後飛鳥岡本宮と天武の飛鳥浄御原宮を造営したとみられる。
皇極天皇の飛鳥板蓋宮は蘇我入鹿が暗殺された宮殿であり、掘立柱建物や塀、石組みの溝、石敷き遺構などが発見されている。
奈良県高市郡明日香村岡
甘樫丘(あまかしのおか)
飛鳥を一望できる丘
蘇我蝦夷・入鹿の大邸宅があった場所だと考えられている。
標高148mからは飛鳥京や藤原京を望むことができる。
奈良県高市郡明日香村豊浦
水落遺跡(みずおちいせき)
25本の柱が復元された日本初の水時計跡
天智天皇が造らせたとされる日本初の水時計「漏刻」跡で、律令国家体制を整えるには明確な時刻が必要だった為に造られたとみられる。
『万葉集』でも時刻を報せる鐘の音を題材にした歌がある。
奈良県高市郡明日香村飛鳥
石橋:飛び岩(いしばし)
数多くの歌が残された「明日香(飛鳥)川」
飛鳥川は古くから人々の暮らしの一部として利用されてきた川で、『万葉集』にも多くの歌がある。
かつて川を渡る際に橋として利用された飛び石が残っている。
奈良県高市郡明日香村稲渕
飛鳥稲淵宮殿跡(あすかいなぶちきゅうでんあと)
孝徳・斉明天皇の宮殿跡
飛鳥稲淵宮殿跡は難波宮から飛鳥宮へと戻った斉明天皇が住んでいた飛鳥河辺行宮ではないかと考えられている。
奈良県高市郡明日香村稲渕
平城宮跡(へいじょうきゅうあと)
巨大な大極殿が復元
云わずと知れた平城京の跡地。
奈良県奈良市佐紀町
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)
天武・持統天皇の都
藤原宮は飛鳥のすぐ北に位置しており、天武が構想し、持統が完成させた。
中国の都城制を模して造られた日本初の条坊制を敷いた本格的な都城。
奈良県橿原市高殿町
葛城山:葛城古道(かつらぎさん)
大豪族・葛城氏の本拠地
飛鳥と大阪難波津を結ぶ竹田街道の通り道出、古代豪族の葛城氏の本拠地として栄えた。
奈良県御所市
出雲大社(いずもおおやしろ)
国造りを成し遂げた大国主大神を祀る
大国主大神が国譲りと引き換えに要望した「柱が太く高い立派な宮殿」が起源とされる。
御本殿は大社造りと呼ばれる日本最古の神社建築様式を持つ。
島根県出雲市大社町杵築東
須佐神社(すさじんじゃ)
大社造りの本殿を持つスサノオ所縁の古社
出雲に降臨したスサノオの終焉の地に建てられた神社。
出雲風土記によると、スサノオは自らの御霊をここに留めたとされる。
島根県出雲市佐田町須佐
熊野三山(くまのさんざん)
ヤマトを目指すイワレヒコ(神武天皇)、激戦の地
熊野三山とは熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。
イワレヒコ(神武天皇)が東征した際、熊野灘から上陸して光り輝く滝を発見し、オオクニヌシを祀ったという。
熊野はスサノオが暮らす根堅州国とも縁が深い土地とされ、古くから信仰されてきた。
熊野本宮大社:和歌山県田辺市本宮町本宮1100
熊野速玉大社:和歌山県新宮市新宮1
熊野那智大社:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
稲佐の浜(いなさのはま)
国譲り神話の舞台
出雲大社の西方1kmにある海岸で、アマテラスの命を受けたタケミカヅチが降り立ち、オオクニヌシと国譲りの交渉に臨んだとされる場所。
島根県出雲市大社町杵築北稲佐
伊吹山(いぶきやま)
ヤマトタケル終焉の地
『古事記』では、ヤマトタケルは父である景行天皇に疎まれ、九州遠征を命じられており、さらに休む間もなく東征までさせられている。
ヤマトタケルは都への帰還の途上、この伊吹山の神によって衰弱し、伊勢で命を落とした。
滋賀県米原市など
天孫降臨神籬斎場(てんそんこうりんひもろぎさいじょう)
ニニギを迎えた火祭りを伝える霧島神宮の古宮跡
かつて霧島神宮があった場所で、現在は「古宮址」と呼ばれている。
天孫ニニギが高千穂の峰に天降る際に火を燃やして迎えたという伝承に由来する火祭りが開催されている。
「神籬」とは臨時に神を迎える為の依り代のこと。
鹿児島県霧島市霧島田口
仙道古墳(せんどうこふん)
盾持武人埴輪や柵形円筒埴輪に注目
この古墳は6世紀頃の直系約50mの巨大な円墳。
古墳の近くには神功皇后の朝鮮出兵に所縁の深い神社などが残るが、ヤマトとの関係は不明。
福岡県朝倉郡筑前町久光
大宰府政庁跡(だざいふせいちょうあと)
外交の窓口を担った太宰府の中心
筑紫一国だけでなく、九州全体を治めた大宰府の政庁跡。
中国や朝鮮半島からの防衛の役目や、外国との交渉窓口という役割も担っていた。
奈良時代には大伴旅人や山上憶良が集まり、多くの名歌を残した「筑紫歌壇」を生み出した。
福岡県太宰府市観世音寺
御輿来海岸(おこしきかいがん)
景行天皇を感動させた景勝地
景行天皇が九州遠征の際、美しい海岸線に目が留まり、しばし御輿を駐め見入られたという伝説からその名が付いたとされる。
熊本県宇土市網津町

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