餅の歴史

餅の歴史

古来よりの稲作信仰

古来から日本では、稲作信仰というものがあった。
餅は元々は東南アジアから日本に伝来したが、平安時代には朝廷より推奨され、正月などのハレの日の行事には欠かせない縁起物だ。
餅を食べると力がつき、新しく生命を再生させる霊力があると信じられ、ハレの日に餅を食べる習慣が広がった。
白い「つき餅」の他に、大豆や小豆、ごまなどの材料を加えた餅や、米の粉を用いた「ちまき」のような「粉餅」なども作られる。

餅つきの様子

餅つきの様子

古墳時代の餅

古墳時代後半、土器による蒸し器が見付かっている。
少なくとも古墳時代には餅は作られていた。
蒸し器の普及には地域差も見られ、西日本では蒸すより煮炊きが多く、餅など蒸す食物はハレの時に用いられていた。
西日本に比べて、東日本の方が蒸す事が多かったのだ。

奈良時代の餅

奈良時代初期に編纂された豊後国(現在の大分県)の風土記である『豊後国風土記』には次のように書かれている。

豊後の国の球珠速水の郡の田野に住んでいた人達は水田を作って稲作を行っていた。
余った米で大きな餅を作って、それを的にして矢で射ると、その餅は白い鳥になって飛んでいってしまった。
その後、家は衰え、水田は荒れ果てた野になってしまった。

餅は白くて丸く大きな平たいものだったと考えられ、古来から日本では、白い餅は縁起のよい白鳥に連想されていた。
神秘な霊を宿すものと考えられていたのだ。
その為、粗末に扱うことのないようにという意味が込められていた。
伝説の餅が稲の神様である稲霊を象徴していたように、餅はただの食べ物ではなく、神が宿る特別な存在として敬われてきたのだ。

丸い餅

丸い餅

平安時代の餅

平安時代後期の書物『大鏡』では、醍醐天皇の皇子が誕生してから50日目のお祝いとして、「五十日(いか)のお祝いの餅」を出された事が記述されている。
また、「孫の公成に目のない、老いた公季」の条においても、「誕生五十日の祝いに、赤子(公成)の口に餅を含ませた」とあり、天皇家や貴族の間では、生後50日目(2ヶ月しない内)に餅の味を覚えさせた事が記録されている。

鎌倉時代の餅

鎌倉幕府の歴史書『吾妻鑑』の建久4年(1193年)5月16日条に、「三色餅」の記述がある。
黒・赤・白の三色の餅とあり、鎌倉時代には白色以外の色餅が作られていた。
左に黒色餅、中に赤色餅、右に白色餅を置き、それぞれ食され、最後に重ねられ、上段に黒色餅、中段に赤色餅、下段に白色餅を置き、それを山の神に供した。
形は分からないが、長さ8寸(24センチ)、広さ3寸(9センチ)、厚さ1寸(3センチ)であった。
鏡餅や菱餅と同様に餅を重ねると言う行いは鎌倉時代より確認できる。

東西日本における餅の違い

東の地域ほど、正月行事の中で餅を忌避して食べず、サトイモやヤマイモを食べる習俗の方が重要な意味をもっている事がある。
この東西の差は、西が水田稲作に対し、東が焼畑による生産圏である事が関係している可能性がある。
近畿圏と比べれば、餅が東国各地の正月行事で用いられたのは後になると思われる。
ハレの食物としての餅が全国一様に普及するまでには地域差があったのだろう。
また、餅が普及した後も、東西日本では餅の文化は異なる歴史を歩んできたのだ。

四角い餅

四角い餅

色んな形の餅

鏡餅

鏡餅の名称は、鎌倉〜室町時代から使われ始めたが、平安時代には餅鏡と呼ばれていた。
鏡は霊力を備えたものとして考えられており、餅を神の宿る鏡に見たてて形作ったモノが鏡餅である。
正月に飾る鏡餅は、訪れた年神が宿るとされ、「お供え餅」や「雑煮」の習慣とともに、現在でも、正月の代表的行事である。

鏡餅

鏡餅

鏡餅が丸い理由

鏡餅の形は平たく、満月の様に丸く、どっしりとしている。
その形は一説には人の魂がこもる心臓を模したと言われ、社会や人間同士の付き合いが円満である事を現している。
満月を別名「望月」と呼ぶ事から、鏡餅を拝むと望みを叶えられると信じられてきた。
この満月型の餅は、天皇の神器である「三種の神器」の一つである銅鏡の形に似ているから、鏡餅と言われるようになったのだ。

菱餅

菱餅は、3月3日の桃の節句に雛人形を飾る際に、それと共に供える菱形の餅であり、桃の節句の行事食だ。
赤・白・緑の3色のものが多いが、地方によっては異なる。
2色であったり、5色や7色になっている餅を菱形に切って重ねて作る地域もある。今の形になったのは江戸時代からである。
赤い餅は、先祖を尊び、厄を祓い、解毒作用がある山梔子の実で赤味を付けて健康を祝う為であり、桃の花を表している。
白い餅は、この白い色が清浄を表し、残雪を模している。
また、菱の実を入れて血圧低下の効果を得るという意味もある。
緑の草餅は、初めは母子草の草餅であったが、「母子草をつく」と連想され、代わりに、増血効果がある蓬を使った。
春先に芽吹く蓬の新芽によって穢れを祓い、萌える若草を喩えた。

菱餅

菱餅

どうして菱形なのか

様々な説が在り、ハッキリとは分かっていないが、下記のような例が上げられる。

  • 宮中で正月に食べられる菱葩餅が起源であるという説
  • 元は三角形であったが、菱の繁殖力の高さから子孫繁栄を願ったという説
  • 菱の実を食べて千年長生きしたという仙人にちなんだ説
  • 室町時代の足利家に、正月に紅白の菱形の餅を食べる習慣があり、宮中に取り入れられて、草餅と重ねて菱餅になったという説
  • のし餅の切り方は、小笠原流礼式で知られる小笠原氏の家紋、三蓋菱を型どったという説
  • 菱餅の形は心臓を型どったという説
  • 菱形の形は大地を表すという説

各地の菱餅の慣習

静岡県の一部では三角形状の三角餅がある。
京都市では菱餅の代わりにあこや餅を代用する場合もある。
三重県では三角餅と呼ばれ雛祭りにこの餅を持って親元へ行く風習がある。

力餅

江戸時代には餅を年中行事などにも作って祝う事が平民の間にも広まった。
諸国の街道筋では食べると力が付くという「力餅」のような名物餅が売られるようになる。

焼餅

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