神は柱で数える

なぜ神は柱で数えるのか

日本では古来から神を数えるとき、「一人、二人、三人」ではなく「一柱、二柱、三柱」と数える。
何故、人を数えるときと違い、神を数えるときにだけ「柱(はしら)」を使うのだろうか?
その理由をみてみよう。

大木は神が宿るモノ

「柱」は、古くから神と深い関わりがあったと考えられている。
まず、古来より神は自然物に宿ると考えられており、その中でも特に「大木は神が宿るモノ」として重要視された。
今でも神社に行けば、御神木と呼ばれるモノを目にする事があるだろう。

柱は「神が降りて来る通り道」

柱の形状にも由来があるようだ。
柱は地面から天に向かって垂直に立っている姿から、「神が降りて来る為の通り道」としての役割を果たしていたと考えられている。

イザナギとイザナミの天御柱

イザナギとイザナミが葦原中国に降り立った時に初めに立てたのも天御柱(あめのみはしら)であった。
神と柱は密接な関係にあるという事だ。
また、家の中心にある柱の事を「大黒柱」というが、この大黒柱にもその家の氏神が宿るとされていた。

伊勢神宮の「心御柱」

この考え方は現在の神事にも繋がっている。
天照大御神を祀る伊勢神宮正殿の床下には「心御柱(しんのみはしら)」と呼ばれる特別な柱がある。
これは建物自体には接しておらず、建築構造としての機能は果たしていない。
にも関わらず、この柱は伊勢神宮で重要なモノとして扱われる。
心御柱は神殿成立以前の本来的な神籬を形象化したものと考えられ、神宮の聖なる中心ともいえる。
しかも、その忌柱は、御用材中最も重要視されるのだ。
遷宮の際に心御柱を新たに建てる「心御柱奉建祭」はひときわ重要な神事とされ、夜間に非公開で行われる。
それはやはり、そこが神の寄り代であり神宮の中心にあたるからだ。

諏訪大社の「御柱祭」

信州の諏訪大社において7年に1度、寅と申の年に行われる「御柱祭」でも、社殿の四隅に巨木が建てられる。
その巨木は奥山で切られ、勇壮な木落としを経て社地の四隅に奉建される。
この御柱も社殿建築上はまったく関係のない柱である。

柱がある処に神が宿る

柱がある処に神が宿る
神と柱に密接な関係があるから、「柱」で数える。
安易な考えの様に思うかもれしないが。そこには身近なモノに神を見出す日本古来の感覚がある。
それが言葉として定着するのは自然な事といえる。


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