朝鮮通信使と街道
日本と朝鮮との交流は古く、古くは有史以前に遡り、近代的な関係は室町時代から始まっている。
豊臣秀吉の朝鮮出兵で一度は関係が途絶えるが、江戸時代に再び関係が始まる。
江戸時代は約200年の間に12回も朝鮮通信使が来日しており、対馬から島々を経由しながら下関へ至り、海路・陸路を利用して江戸へと向かう道は華やかであった。
珍しい衣装や、貢物の毛皮などを一目見ようと、街道におびただしい歓迎の見物人が押し寄せたという。
その為、朝鮮通信使が通った道沿いには、踊り工芸品など、現在でもその面影が数多く残っている。
明暦度(1655年:承応4年・孝宗6年)の朝鮮通信使
狩野安信『朝鮮通信使』大英博物館蔵
朝鮮通信使の歴史
室町時代に朝鮮通信使との交流が始まって江戸時代まで、多くの朝鮮通信使が来日している。
- 室町時代
- 第三代将軍足利義満のときに初めて来日する。
足利義満は明から日本国王の称号を賜ると、日本の正式なトップとして朝鮮との外交関係を樹立させた。
- 安土桃山時代
- 日本を統一した豊臣秀吉は、朝鮮出兵を企図。
1592年に15万人余りの兵を出兵させた事で日本と朝鮮の関係はこじれ、以降江戸時代まで国交が途絶える。
- 江戸時代
- 徳川家康が関係回復に努め、1607年から1811年は江戸まで行かず対馬での交流に留まった。
江戸までの行程
釜山を出て対馬へ上陸し、下関など瀬戸内の海路を利用し、淀川を経て陸路で江戸へと向かった。
通る街道は中山道・朝鮮時街道・美濃路・東海道である。
- 漢城(現在のソウル)
- 対馬
- 下関
- 上関
- 鞆乃浦
- 牛窓
- 室津
- 兵庫県
- 大坂
- 京都
- 名古屋
- 静岡
- 箱根
- 江戸
朝鮮通信使の面影が残る道
朝鮮通信使は、鎖国時代の人々にとって大陸の珍しい文化に触れる貴重な時間であり、その文化は街道沿いの街へ根付いていった。
- 唐子おどり(岡山県瀬戸内市)
- 岡山県瀬戸内市牛窓町で毎年10月に行われる秋祭り。
ここで神事として奉納される踊りを「唐子おどり」という。
由来については諸説あるが、江戸時代の朝鮮通信使の影響を受けたモノと考えられている。
- 朝鮮人街道
- 滋賀県近江八幡市には「朝鮮人街道」という道が残っている。
京を発った一行は守山で宿泊した後、中山道から分岐し、八幡で食事、彦根で宿泊して再び中山道と合流して江戸へ向かった。
- 小幡人形
- 滋賀県東近江市五個荘の小幡人形には、通信使をイメージして造られたモノがあり、楽器を持っていたり、色鮮やかな衣装をまとっているモノがある。
- 唐人おどり(三重県鈴鹿市・津市)
- 三重県津市と鈴鹿市の唐人おどりも華麗な通信使の行列や服装、所作に魅惑されてこの真似物行列を推奨したのが始まりとされている。
朝鮮通信使来朝図(朝鮮通信使行列絵巻)
神戸市立博物館所蔵