日本人はどこから来た?

日本人はどこから来たのか?

日本人はいつ、何処からやって来たのか?
日本人もアフリカ発祥ホモ・サピエンスの一種と思われ、氷河期、まだ日本列島がユーラシア大陸と陸続きだった頃に、やって来たと考えられている。
古代日本人の日本列島到達ルートは、まだ、ハッキリとは分かっていないが、科学調査や発掘調査によって、大筋の年代などは分かっている。

ホモ・サピエンスの日本列島到達

人類はアフリカで生まれた

約10万年前、私たちの祖先であるホモ・サピエンスの一部は古郷アフリカを離れ、様々な経路を辿って世界各地に拡散したという。
数万年という長い年月をかけ、地球上の様々な場所で、それぞれの環境に順応するように進化した結果、黒色人種(ネグロイド)、白色人種(コーカソイド)、黄色人種(モンゴロイド)、オーストラフレシア人(オーストロイド)等、多様な人種が生まれた。
ただし、人種は異なっても、遺伝子的には99%が一致しているのだ。
つまり、肌の色などの外見や、高地における適性などの生理機能の差異を生んでいるのは、ごく僅かな遺伝的要因にすぐないのだ。

日本人の祖先もアフリカで生まれた

モンゴロイドの一種である「日本人」も、その源流はアフリカにあるという。
では、一体、どんなルートを通ってアフリカ大陸から日本列島にまでたどり着いたのだろうか。
なお、東アジアでは旧人であるネアンデルタール人よりも古い「ジャワ原人」や「北京原人」などの化石人類が見つかっている。
日本人の祖先が、非常に遠いアフリカで生まれたホモ・サピエンスだと聞くと、不思議に思える。

原人は絶滅した可能性が高い

北京原人は50万年前から20万年前に存在したと推定されており、ジャワ原人と共に「ホモ・エレクトス」の一種である。
そのため、彼らこそがモンゴロイドの直接の祖先であり、ホモ・サピエンスは様々な地域で原人から旧人へ、旧人から現生人類へと進化を遂げてきたのでないかとする「多地域進化説」が長らく議論されてきた。
しかし、原人とホモ・サピエンスとを結びつける考古学的な証拠はなく、またゲノム解析によっても、ホモ・エレクトスが現代人の直接の祖先ではない事が明らかにされている。
おそらく原人は何らかの理由で絶滅したと考えられている。

複数ある日本人到達ルート

海岸移住ルート

アフリカを出てアジアへと向かったホモ・サピエンス達のルートについては、長らく「海岸移住ルート」という説が語られてきた。
これは、ホモ・サピエンスがアラビア半島(現イエメン、オマーンなど)を回ってペルシャ湾岸に出てきて、そのまま海岸沿いを東に向かいインド半島の外周をぐるりと回って東南アジアに到達。
その後も海岸沿いを伝って、中国大陸に向かったり、海を越えてオーストラリア大陸やニューギニア島に渡ったりしたと説だ。
この説には、高い説得力がある。
漁労技術を獲得したホモ・サピエンスが、内陸部とは異なり、常に食料資源を獲得できる海に沿って移動するルートを通った可能性は、否定出来ない。
しかし、海水面の上昇による水没の為か、海岸移住説を裏付ける遺跡は殆ど見つかっていない。

ヒマラヤ南・北ルート

先に記述したとおり、海岸移住ルートは遺跡が見つかっていない。
では、当時のホモ・サピエンスが残した可能性が非常に高い遺跡が分布しているルートは何処なのか?
2つの移動経路が浮かび上がる。
ヒマラヤ山脈→チベット高原→タクラマカン砂漠の北側を東に進む「ヒマラヤ北ルート」と、同山脈の南側を東または東南に進む「ヒマラヤ南ルート」だ。

3万8000年前には、日本人が到達した

遺跡の年代から推測すると、ホモ・サピエンスは今から4万5000年前頃にヒマラヤ山脈の麓、インド半島あたりにまで到達している。
その後、5000年程かけて中国大陸、朝鮮半島へと進出し、日本列島に遺跡が登場するのは3万8000年前頃になっている。
未だ謎に包まれている部分は多いが、現在残る遺跡から、この3つのルートを通ってホモ・サピエンスはアジアに進出したと考えられる。

日本には、いつから人類が住んでいた?

東アジアに到達したホモ・サピエンス達は、そこからどのようにして日本列島に渡ったのか?
また、ホモ・サピエンスが渡来する以前に、日本列島にヒト属が居住していた遺跡をあるのか?

約2〜3万年前、日本と大陸は繋がっていた

約3万年から2万年前、つまり最終氷河期が終わる前の時代には、海水位が低かった為に日本列島と大陸は地続きになっていた。
北海道は樺太を経由して大陸と繋がり、本州・四国・九州は全て1つの島(古本州島)であった事が分かっている。
つまり、ホモ・サピエンスよりも古い旧人や原人が、大陸と地続きになっていた日本列島へ渡って来ていたとしても、不思議ではない。

日本とユーラシアが繋がっていた根拠

日本列島がユーラシア大陸と繋がっていた根拠だが、約65万〜42万年前から日本に出現していたとされるナウマン象は、中国大陸から渡って来たと推測されており、他にもマンモスやヘラジカなど大陸由来の大型動物が北方から日本列島へ渡って来た痕跡が見つかっている。
人間と違って、手先が不器用で、高い知能を持たない大型動物が海を渡って来たとは、考えられないのだ。

日本で発見されたホモ・サピエンスの化石

明石原人

1931年(昭和6年)、兵庫県明石市で、「明石原人」と名付けられる古い人骨が発見された。
「類人猿に近い特徴を有する」為、かつての日本列島に住んでいた原人であると主張された。
しかし、1982年、東京大学と国立科学博物館の研究者によって、ホモ・サピエンスの骨であるとする説が主張された。
近年では、後者が有力視されている。

港川原人と浜北原人

沖縄県沖縄本島にある港川フィッシャー遺跡や、静岡県浜北の根堅遺跡、さらに沖縄県石垣島の白保竿根田原遺跡から、化石人骨が出土している。
港川と浜北のものは、当初原人のものだと捉えられた為、「港川原人」「浜北原人」と呼ばれたが、現在では、これらもホモサピエンスであると分かっている。

日本に原人・旧人は住んでいなかった?

日本列島に残る旧石器時代の遺跡は、4万年前よりも新しいものが大半を占める。
しかし、日本の土は火山灰の酸性土壌であるため、アルカリ性の人骨が溶けて土に還りやすく、人骨の出土が殆ど無いのだ。
4万年以前の日本に原人や旧人は住んでいなかった可能性と、住んでいたが骨が溶けてしまっただけという可能性もある。
ただし、旧人もしくは原人が作った可能性の高い石器が日本の各地で出土している事も報告されている。

確実に日本に人類が住んでいたのは、3万8千年前から

日本全国には、旧石器時代の遺跡は1万カ所以上も存在するが、その大多数は3万8000年前よりも後に作られている。
この事は、放射性炭素年代測定法や、遺跡のある地層から特定できる。
現時点(2017年)では、3万8000年前から人類が住んでいた事は間違いないといえる。

ホモ・サピエンスによる日本の人口増加

日本では、3万8000年前以降の日本で、爆発的な人口の増加が見られている。
何故かというと、ホモ・サピエンスが日本列島に渡って来たからだろう。
勿論、原人・旧人などの古い種の存在を関税に否定する事は出来ないが、ある時期を境に、緩やかではなく、爆発的に人口が増える為には、より高い水準の生存能力・生活能力を備えた一群の人々が大挙して移住して来たと考えれば、説明がつく。

東アジアから日本列島へのルート

日本人となるホモ・サピエンスの一群は、どんなルートで大陸から日本列島へ移入したのか?
当時は、まだ最終氷河期が終わっていなかった為、考えられるルートは3つ存在する。

対馬・沖縄・北海道、3つのルート

朝鮮半島から海を越えて対馬へ渡った後、九州北部へ到達する「対馬ルート」。
中国南部と陸続きだった台湾あたりを起点として、海を越えて、琉球諸島を飛び石のように渡って北上した「沖縄ルート」。
そして、ユーラシア大陸と地続きとなっていた樺太を経由して北海道へと移入した「北海道ルード」だ。
アフリカで誕生したホモ・サピエンスは、上記の3つのルートのどれかを通って、日本にやって来たのだ。


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