因幡の白兎

因幡の白兎のワニはサメだった

「因幡の白兎」には「和邇(ワニ)」という生物が登場するが、現在ではワニではなくサメであったと考えられている。
その根拠を簡単にまとめる。

白兎神社のうさぎ像

白兎神社のうさぎ像

オオクニヌシの国づくり物語

和邇(ワニ)という未確認動物

「稲羽(因幡)のシロウサギ」は国土を開拓したオオクニヌシ(大国主神)を主人公とする物語で、彼の国づくりを語るうえでは欠かせないエピソードだ。。
あらすじでは、シロウサギの皮を剥いだのは「ワニ(和邇)」という生き物だが、周辺からはサメの歯の出土例が多く、その正体についてはさまざまな説が展開されている。

「稲羽のシロウサギ」の簡単なあらすじ
オオクニヌシには異母兄弟がたくさんおり、彼らが美しいと評判のヤガミヒメに求婚するために出雲国を出て因幡国へ行くとき、従者として同行するよう命じられます。
しかし、途中の岬で全身の皮がむけたウサギと出会い、それを助けると、ウサギに「ヤガミヒメと結婚するのはあな「たです」と予言されます。
するとその言葉どおり、オオクニヌシはヤガミヒメと結婚することになります。

白兎海岸
シロウサギがオオクニヌシに助けられた海岸と伝わる
中央の小さな島がオキ(淤岐ノ島)とも

古事記の記述と実際との違い

古事記では「素兎」と記述されている

以上が「稲羽のシロウサギ」の簡単なあらすじであるが、『古事記』の原文をみると、現在の解釈と微妙にズレが生じてしまう。
例えば、シロウサギは原文では「素兎」とだけ記されており、「白兎」という記述は出て来ないのである。

「オキノウサギ」は実際は茶色

シロウサギがいた「オキ」の候補地である隠岐諸島には「オキノウサギ」が今も生息しているが、毛は白ではなく茶色なので、本来のシロウサギは茶色だった可能性がある。

日本に野生のワニはいない

また、シロウサギの皮を剥いだ生物として「和邇(ワニ)」が登場するのだが、その正体についても様々な説がある。
かつては、そのまま爬虫類のワニと解釈する事が多かったが、日本で野生のワニが生息していた事実はない。

サメも「ワニ」と呼ばれる

上記の事情から、因幡の白兎に出て来る「和邇(ワニ)」なる生物が本当にワニであったとは考えづらい。
現在、通説として支持されているのとのは、「ワニ=サメ」説だ。
能登半島より西ではサメを「ワニ」と呼んでいるのが説の根拠になっている。

大昔、サメは身近な生物だった

西日本の遺跡からサメの骨が出土

古代人にとってサメは身近な存在だったようで、西日本の遺跡ではサメの遺物が多数出土している。
例えば、島根県松江市のシコノ谷遺跡では、サメの歯が156本も出土している。
また、青森県青森市の三内丸山遺跡でもサメの骨が発掘されている。
どちらも縄文時代の遺跡で、縄文人が海でサメを捕まえて食べていたと考えられている。

サメの絵が描かれた土器片

鳥取県鳥取市の青谷上寺地遺跡で出土した、サメとみられる魚が描かれた土器片。
遺跡からは保存状態がよい弥生時代の遺構・遺物が発見されていることから、「地下の弥生博物館」とも呼ばれる。
船形木製品や魚をとるための道具など、海に関する出土品も多い。(鳥取県埋蔵文化財センター)

サメの絵が描かれた土器片

ヤガミヒメも国の主だった可能性

オオクニヌシの兄弟神がヤガミヒメに求婚したのは、彼女の出身地である因幡(稲羽)が出雲に匹敵する大勢力だったからとも考えられている。
「ヤガミ」という名前は八上郡という因幡最大の郡名を現わしているが、地名を背負う神はその地を守護・支配する神であった。
そのため、ヤガミヒメを娶るのは因幡一国を所領とするのに等しかった。
神話の中には一見ほのぼのとしたお話に見えても、注意深く視ると政治的打算的な事情が視えて来る。

ヤガミヒメ

ヤガミヒメ


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