古来、エネルギー利用の主役は火力であり、人口増加とともに燃料を提供する森林は失われ、江戸時代には限界に達していた。
産業革命と化石燃料の活用によって限界を超え、電力という万能の利用形態の普及とともにエネルギー消費量は急増していく。
その果てに、化石燃料の枯渇、地球温暖化、原子力の安全性への疑問という難題と直面する今、エネルギーと日本の歴史を振り返る。
狩猟、採集、漁労によって自然の恵みをそのまま獲得し、利用していた。
エネルギーを効率よく取り出し、活用する為に大きな役割を果たしたのが火力である。
外敵からの防衛、照明、暖房、調理、土器製作など、様々な場面で活用され、生活を豊かで便利にした。
森林は食料だけでなく、燃料となる薪炭も供給した。
稲作の伝播を機に始まった作物の栽培により、自然に積極的に働きかけて必要なエネルギー資源を効率よく大量に得られるようになった。
エネルギー消費量が増大し、それに支えれて人口が増え、集落の規模が拡大する。
耕地と水利施設の開発、道路の整備や建物の建設、大仏造営などの大規模な土木事業が本格的に行われた。
石や砂利、木材の運搬など、工事に必要な動力の殆どは人力によってまかなわれていた。
飛鳥時代から奈良時代には、都城建設や大仏造営などの土木工事により、森林資源の大きな需要が生まれ、特に近畿地方一円の山林の多くはハゲ山となってしまった。
家畜や水車が農耕に利用されるなど、エネルギーを効率的に取り出す技術や道具が発展した。
市場経済化が各地で広がり、あらゆる社会階層へ浸透すると、多くの人や物資が行き交い、エネルギー消費量が飛躍的に増大した。
エネルギー資源は、森林(燃料など)、田畑(食料など)、家畜や人間の筋力、水力や風力(動力)などであり、再生可能なエネルギーで全てがまかなわれた。
村落で共同利用する入会地が設けられ、木を切り出し、運び、加工する為の道具や技術も工夫された。
江戸時代に入りエネルギー消費が拡大する一方、「鎖国」状態にあって資源は殆ど輸入されず、全て日本国内でまかなわなければならなかった。
このため、田畑の地力など、有機エネルギー再生の速度が消費量に追い付かず、限界に達しつつあった。
また、人口増による森林資源の荒廃が全国的に進み、伐採の禁止、山林への立ち入り制限、大規模な植林などの保護政策が幕府の布令で行われた。
資源を有効に活用するため、森林資源を管理し、植林が行われるようになったのだ。
さらに、ゴミの投棄を禁じて川や海の生産性を保つとともに、庶民の生活でも、回収したゴミから再生可能な原料を取り出してリサイクルし、日用品の修繕や再利用、貸し借りしたりするなどした。
蒸気力や電力といった新しいエネルギー利用技術が伝わり、蒸気機関車が走り、電灯が普及し始め、工場が次々と建設された。
工場の動力は、当初は水力(水車)が主だったが、次第に蒸気力へと転換。
それに伴って化石燃料である石炭の利用が進んだ。
大規模な発電所が建設され、発電網が整備されて電力の供給体制が整い、蒸気タービンを利用した発電法の開発で火力発電の効率が上がって、電気料金が大幅に引き下げられた。
これに伴い、工場では蒸気力に代わって電力が主要な動力として用いられるようになった。
一方で、家庭での電力の利用は電灯にとどまり、家庭の主なエネルギー資源は昭和時代前期まで薪や炭だった。
動力や発電のエネルギー資として石油の価値が世界的に高まり、石油の確保が国力を大きく左右する事態となった。
産油国ではない日本は米国などからの輸入に頼らざるを得ず、大陸や東南アジアへの進出を画策したが、それが結果的に太平洋戦争を招いた。
それでも解消できなかった石油不足が敗戦の原因ともなった。
太平洋戦争の敗戦後、日本を復興へ道いたのは、工場でも火力発電でも主なエネルギー資源となった石炭だった。
やがて石油化学工業の発展などによって石炭から石油への転換が進み、一般家庭への家電製品の開発・普及などもあって消費電力が増大し、自動車の燃料としても使われるなど、石油への依存度が急速に高まっていった。
東日本大震災に伴う福島第一原発事故や電力危機は、原子力発電に頼る現状の危険性を知らしめた。
省エネ・節電などが叫ばれ、再生可能エネルギーによる新しい発電技術の開発が求められるとともに、環境に大きな負荷を掛けない江戸時代の暮らしが見直されるなど、エネルギー事情は転換期を迎えつつある。
太陽光、風力、地熱、波力、小規模水力などの再生可能なグリーンエネルギーの開発の他、天然ガス、シェールガス、メタンハイドレートなど、石油に代わる新しい燃料や技術開発が求められる。