日本と動物

日本と動物の歴史

古代の日本人は動物を追い、一方で動物も人間を襲った。
後に飼育が始まると、食用や敵対といった関係だけではない、人間と動物との付き合いが始まる。
そして動物は、農耕や軍事の一翼を担い、人々にとってなくてはならないパートナーとなった。
日本の歴史の中で、多面的な動物観が育まれる。
ときにはペットとして、ときには政治の道具として、ときには見世物として、、
日本の歴史上における動物達を見ていく。

縄文時代 狩猟と畏怖の対象

貝塚を発掘した結果、縄文人は猪、鹿、熊、鴨、鮭、貝類などを食用としていた事が分かっている。
同時に加工した頭蓋骨や、意図的に石と共に配置されたような鹿や猪、イルカなどの骨が発見され、動物を儀礼に用いた事も分かる。
動物の下顎や牙を用いた装身具も発見され、動物の呪術を信じたアニミズム的(自然界のモノに固有の霊が宿るという信仰)な信仰が窺える。

犬 飼育から食用へ

縄文時代後期の貝塚から発見されたの骨は、丁寧に埋葬されている。
おそらく猟犬として飼われていたモノだ。
ところが弥生・古墳時代に入ると解体された骨が出土するようになり、食用にされた事を物語っている。

鯨 捕鯨の始まり

縄文時代の遺跡からはイルカの骨や石銛(いしもり)が、古墳時代の遺跡からは捕鯨の線刻絵が発掘され、古代に鯨を捕っていた事が分かっている。
サハリン(樺太)から北海道東北部などでは5世紀から9世紀頃まで続くオホーツク文化に捕鯨の遺構がある。
北海道で7世紀頃に興った擦文文化を経て、アイヌ文化に移行する時期にも捕鯨は伝えられた。

弥生〜古墳時代

飼育の広がり

動物の飼育は、弥生時代に本格化する。
遺跡から出土する動物の骨は縄文時代の猪とは異なるなどが多くなる。
また、稲作が広がった弥生時代、銅鐸の表面に稲作儀礼と結びつく鹿、水田近くに生息して稲田の害虫を捕食するトンボサギなどが描かれる様になる。
鳥形木製品も現れる。

労役動物の利用

5世紀に、軍事用として朝鮮半島から馬が導入された。
その後、馬鍬(まぐわ)が「倭の五王」の使節により伝えられ、主に関東以西で馬の農耕が始まった。
6世紀には、渡来人が牛と共に犂(すき)を持ち込み、渡来人が多く住み着いた畿内・西日本で牛耕が広まった。
こうした労役用の動物の存在が無ければ古墳建造はより困難になっただろう。
また、古墳時代の遺跡から発掘された豚は、大陸からもたらされた家畜化が進んだ種類で、犬も様々な種類が持ち込まれた。
犬、馬、鶏などの埴輪を伴う古墳も多く、配置された動物の埴輪は権力者の象徴とされる。

飛鳥〜奈良時代

日本独自の動物観

謹慎・禁欲の一種として肉食を発つ風習は、7世紀以降、仏教の影響で殺生や肉食を罪悪とする思想へと発展した。
豚の飼育は下火になり、大陸で普及した「食用目的の牧畜」という観念とは異なる独自の方向が生まれた。
馬や牛は荷車用と耕作用に用いられ、馬は常用、特に軍車としても利用された。
朝廷は動物飼育を専門とする集団を組織し、特に馬(一部で牛も)の管理を強め「官牧」を設けた。

王権と狩猟

8世紀の「日本書紀」などから、狩猟は王の権威付けとして重要視された事が窺える。
国家的な祭祀の供物として鹿などの動物を確保する事は、王権の維持に欠かせないモノとされた。
そこで、狩猟は戦争に似た行為である事から、戦争の勝敗を占う狩猟・祈狩(うけいがり)なども行われた。
律令国家が成立した際には、兵部省の中に鷹狩用の鷹や猟犬の調教などを担う主鷹司(しゅようし)が設けられた。

廃れた食用目的の飼育

古代には行われていた食肉生産の飼育が、その後になくなっていく事は、日本独自の動物観を形成する大きな要因になった。
食肉目的の飼育が一般に広がらなかった理由としては、森林が多い山地が国土の大部分を占める為、牧畜に不向きだった事、栽培作物の生産が家畜の飼料まで追い付かず、エネルギー効率の悪い畜産が回避された事などが指摘される。
野生の鳥獣・魚介類に恵まれていた事も大きかった。
7世紀後半から、肉食の禁止令が度々発令されているが、これは機会さえあれば、人々は禁止動物でも猪、鹿、熊などの肉を食べた事を物語っている。

平安時代

儀礼社会での利用

貴族社会の儀式や行事では、支配を象徴する動物としてなどが大いに活用された。
中でも馬は重用され、権力を持つ者ほど多くの馬を必要とした。
優れた馬を入手して奉納する事が、権力・財力の故事として絶大な効果を持ったのだ。
また、平安時代には、猫や孔雀、鸚鵡(オウム)などが唐の商人から献上品として齎され、貴族の邸宅で飼われた。

馬 政治的な価値

諸国の牧から集められた馬は、朝廷の馬として馬寮(めりょう)が飼育や調教を担った。
産地からの貢馬を受け取る際の儀礼があり、さらにその馬を天皇が公卿に分配する儀礼も行った。
10世紀末頃になると天皇の馬の調達は、陸奥交易による馬と、摂関家からの貢馬の2系統が主流になった。
摂関家へは受領から馬が貢がれるというピラミッド構造が造られた。
それを支える為に良馬の産地の受領に、摂関家家司を任命するような意図的な人事も行われた。
儀式の際に行われる天皇の神馬奉納は、平安時代以前からも行われていたが、摂関政治・院政へと移行した平安時代中期は神馬の奉納が定型化し、競馬(くらべうま)や馬を用いた武芸の披露が行われた。
藤原道長は春日社や大原野社などに馬を奉納し、自ら競馬を主催して政治力と財力を誇示した。

石山寺縁起絵巻

石山寺縁起絵巻
馬に乗る藤原道長
石山寺蔵

鷹 王朝文化としての鷹狩

桓武天皇平安遷都と同時期に130回以上も鷹狩を挙行した。
狩りを行う事で新都周辺の神々と交感しようとしたと考えられるが、対「蝦夷」戦争の最中でもあったから、示威的行動とも考えられ、様々な狩猟の中でも鷹狩が特別な意味を持つ事を物語っている。
狩りに用いる鷹の調達は、9世紀半ばには地方から鷹を貢がせて天皇の側近である蔵人が管理する形が定まった。
以後、鷹狩は遊興として続けられたが、12世紀になると、上級貴族は殺生に対して罪悪感や穢れの観念を強め、狩りその物を行わくなっていった。

春日権現験記絵

春日権現験記絵
鷹を見せ合う貴族の若者の様子 右上に犬も描かれている
宮内庁三の丸尚蔵館蔵

牛車 貴族の乗物

牛は農耕や資材の運搬用として利用されたが、華やかな装飾を凝らした牛車が、平安時代には貴族一般に乗られていた。
上皇、摂政・関白などの唐庇車(からびさしのくるま)や雨眉車(あままゆのくるま)、上級貴族や僧が乗った檳榔毛車(びろうげのくるま)、皇后や女官などが乗る糸毛車(いとげのくるま)など、目的や階級、性差によって、様々な様式のモノがあった。

鎌倉・室町・安土桃山時代

武士の儀礼と戦場での活用

武士の支配する時代、権力者は再び狩りを盛んに行うようになった。
戦いの道具として馬の役割は大きく、儀礼としても行われた流鏑馬(やぶさめ)や犬追物などは、戦に向けた訓練という意味合いを増した。

鷹 統治者の象徴

室町殿は京都の伝統に縛られ、巻狩を行わなかったが、地方では鹿や猪を追う大名も珍しくなかった。
織田信長は天皇に鷹狩で得た鳥を献上し、諸大名との鷹の贈答も繰り返している。
こうした風習は豊臣秀吉徳川家康にも受け継がれ、鷹や鷹の獲物の献上・下賜は政治的な儀礼になった。
取り分け家康は鷹狩を好んだようだ。
鷹狩は遊興の一つであったが、狩猟によって鳥獣を捕獲する事は、軍事を象徴する一面もあって、統治者の資格を証明するパフォーマンスにもなっていた。

馬 軍馬の組織化

平安時代中期以降の良馬の産地や陸奥や信濃、そして関東だった。
こうした牧は基盤に力を付けていったのが東国の武士団である。
この時代には、従来の甲冑が改善されて皮革を多用し、馬上で弓を引きやすい装備となり、武士たちは日頃から弓射と共に馬術の向上に励んだ。
戦国大名は軍馬の確保に苦心したが、織田信長は1581年に一種の軍事パレードである「馬揃え」に全国から500頭以上の馬を集めている。

猫 寺社の鼠よけに活用

奈良時代に大陸から伝わったといわれるは、経典などを鼠から守る為に寺社で飼われるようになったが、まだ珍しい存在であった。
猫の飼育が庶民にも広まったのは、多くの絵画などに描かれるようになる室町時代以降とされる。

鯨 古式捕鯨の衰退と鯨の利用

伊勢湾を中心に行われた専門的な漁師の集団により15世紀末には産業化した。
この頃の漁は銛を使った突取法(つきとりほう)で、鯨肉は畿内で高級食材として珍重された。
突取法は、16世紀に志摩・鳥羽(三重県)や紀伊・熊野(和歌山県)などに伝播した。
西海漁場として発展するとともに、オランダ商人と結びつき規模を拡大。
保存の効く鯨油に加工し、江戸や各地の城下町に送られた。
泳ぎが速く潜水も達者なザトウクジラやナガスクジラの捕獲が難しかった突取法に対して、網を鯨を追い込んで動きを封じてから突取する網掛突取法が17世紀後半から始められる。
この漁法は、紀伊半島沿岸、土佐、西海などで広く行われた。
その頃の漁師集団は解体加工などを含む500人規模となった。
鯨は、鯨油の他、田で使用する農薬にも使用された。
鯨肉は需要が拡大し、白い脂身を食べる習慣が越後や蝦夷に根付いた。
鯨のヒゲや筋、骨などもくまなく利用された。
しかし、幕末に欧米の帆走捕鯨母工船が日本近海に出漁するようになると、鯨が激減して、日本の古式捕鯨は衰退に向かった。

鯨魚鑑笑録

鯨魚鑑笑録
網を使って動きを封じ、銛を突く網掛突取法による捕鯨を描いた『鯨魚鑑笑録』
長崎歴史文化博物館蔵

江戸時代

愛玩と保護の対象

1680年代から30年近く、徳川綱吉は人間の捨て子の禁止などと合わせて、動物の保護に関する数々の法令を発した。
後年、それをまとめて「生類憐みの令」と呼ぶようになったが、鷹や牛馬、犬猫、魚介類など様々な動物を保護の対象にしていた。
狩り用の鷹を放鳥し、犬猫などの愛玩、遺棄も禁止、牛馬の過積載を規制し、鈴虫や蛍の飼育、魚釣りも禁止した。
一方、この時代、犬や猫の飼育が一般化して、小鳥金魚などもペットとして飼われるようになった。
金魚は熱心に改良が行われた。

犬 品種の増加と「生類憐みの令」

江戸時代には、狩猟・愛玩用に飼育された犬と食用にされた犬がいた。
権力者は洋犬も所有し、大名屋敷跡からは埋葬された大型犬の骨が出土している。
一方、下級武士の屋敷跡や町屋では、食用にされた事を示す解体された状態の中型犬の骨が見つかっている。
「生類憐みの令」が最も重きを置いたのが犬の保護で、紐で繋ぐ事を禁じ、飼育する犬の毛色や飼い主を登録(毛付帳)して管理した。
犬を殺傷する者を切腹や磔(はりつけ)などにする事もあった。
犬の愛護の結果、江戸中に犬が増加してしまう。
そのため17世紀には四谷、大久保、中野に収容所を設置。
中でも中野は最大で、総面積29坪、8万〜10万匹を収容した。
それでも収容できない犬は村預けにした。
江戸中期に入ると遊女などが小型犬を飼育する等、愛玩犬が普及。
犬種も増えて、滝沢馬琴(たきざわばきん)は「小型犬に8種類ある」と記している。

動物見世物の興行

この時代の庶民が珍獣を目にする機会を得たのは、見世物小屋であった。
歌舞伎や人形芝居などの興行が行われた河原などで舶来動物が披露された。

「四条河原遊楽図屏風」

「四条河原遊楽図屏風」
静嘉堂文庫美術館蔵

近世の狩猟

熊、猪、鹿などから田畑を守る為に行ってきた狩猟は、中世以前から受け継がれてきた罠や槍を使った猟法に、鉄砲が加わった。
各地で狩猟を行った職業的狩猟民は、狩猟技術と共に、野生動物の鎮魂の儀式にも精通していた。
鉄砲の管理や毛皮の確保などの必要性から為政者は猟師を記録しようとし、猟師は出自や狩猟儀礼を記した由来記を所持した。
一部に名字帯刀を許された者や新田開発を行う者もいた。

権力者の珍獣所有

海外から持ち込まれた舶来動物が激増したのは18世紀以後。
その多くは鳥類で、鸚鵡、孔雀、錦鶏などの雉子類(きじ)、文鳥、九官鳥、十姉妹、カナリア、紅雀など。
外交や通商によってもたらされ、殆どは権力者の所有となった。
徳川光圀は孔雀や鸚鵡、ヤマアラシ、唐猿、麝猫香などを飼育。
徳川吉宗は唐馬、洋馬、洋犬、挙句は浜御殿で象を飼った。
蘭学や博物額を学んだ島津重豪は、高輪の蓬山園で珍鳥やイグアナを飼育したといわれる。
珍しい鳥類は、その後、国内で繁殖された。

明治・昭和

生活様式に伴う激変

明治時代に入ると西欧的な文化が伝わり、肉食を表向きに認めるなど、大きな変化が生じた。
大規模な開発が奨励され、軍馬の調達を重視し、海外からの畜産技術も導入された。
毛皮を確保する為に狩猟が推奨され、満州事変からアジア・太平洋戦争の軍備に伴って農耕馬が徴発され、戦争末期には様々な動物が供出対象になった。
戦後、1960年代には農業の機械が進み、牛馬の農耕利用は終わりを遂げた。
昭和の終わり頃にはそれまで頻繁に見られた農家の片隅で飼われていた豚や鶏も急激に姿を消した

犬 ペット化の隆盛

それと反比例するかの様に広く普及したのが犬のペット化である。
忠誠心を称揚する為に犬が利用された擬人化もみられるが、時期によって流行する犬種が入れ替わるなど、大量に消費される商品化の傾向も見られる。

国際外交と動物

国際交流が進んだ戦後は、動物外交が盛んに行われた。
1949年、戦中に動物が処分された動物園に、インドのネール首相から象が贈られた。
その後も、1972年に日中国交正常化を記念して、中国からパンダ2頭が贈られた事などが代表例だ。
2012年にはロシアのプーチン大統領に秋田犬を贈るなど、近年でも二国間の友好的関係の象徴として動物の贈答が続いている。

現代

二極化した関係性

日本人の動物観は、近年、二極化した。
9千億円に達するといわれるペット産業の隆盛にみられるように、現代人は伴侶動物としてペットに深い愛情を寄せる。
レジャー施設での動物との接触も人気を集めている。
他方で食用畜産や実験など産業利用の飼育は、集約・システム化されて一般とは隔絶したものになっている。
また、海外からの動物や飼料の移動、集中的な大量飼育を要因とする病害が発生。
環境破壊による生物多様性の危機など、今日的課題を多く抱えている。

共存の為の試み

自然保護の取り組みは世界的課題となった。
日本でも1992年「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」を制定し、自治体や学会などで、レッドデータブックを作成した。
2007年のリストでは、哺乳類の24.0%、鳥類の13.1%、爬虫類の31.6%、両生類の33.9%、汽水・淡水魚類の25.3%を日本で絶滅のおそれがある種に指定し、要保護にしている。
愛玩動物に関しても「動物の愛護及び管理に関する法律」を2012年に改正。
動物取扱業者の規制や消費者の衝動買い回避を強化している。

生態系バランスの崩壊

戦後の針葉樹林の大量造成や、山地の急激な開発によって、熊や鹿、猪、その他の小動物たちも、餌や生存の場を奪われ、一時は個体数を減らした。
ところが近年では林業不振による山村の荒廃や狩猟の減少によって、個体数が激増し、里に出没する野生動物が増え、農作物などの被害が問題となっている。
また、外来種の増加によっても、生態系のバランスが崩れている。

震災と原発事故

20011年3月11日に発生した東日本大震災による動物の被災数は、犬と猫だけでも数万匹になるといわれている。
また、福島第一原子力発電所の事故による警戒区域に取り残された動物は、犬猫で推定2万匹(うち約3割が保護)。
鶏の44万羽、豚の3万頭は餓死か殺処分で死亡、牛3500頭のうち900頭が生き残ったというデータがある。


↑ページTOPへ