戦後の北朝鮮と核開発

戦後の北朝鮮と核開発

1948年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が建国された。
初代首相に金日成(キムイルソン)が選出されるが、1950年に朝鮮戦争が勃発する。
北朝鮮・中国vs韓国・アメリカなどを巻き込んだ戦争は泥沼化し、両軍に多大な犠牲を強いた後、1953年に休戦協定が調印された(韓国は無調印)。
その後の北朝鮮は、金一族体制の維持と、アメリカへの外交カードとして核・ミサイル開発を進めており、北東アジア地域最大の脅威となっている。
>> 戦後の北朝鮮年表

親子3代によって統治される北朝鮮

冷戦終結によって孤立した北朝鮮

朝鮮戦争の終結後、ソ連や中国の支援で対生を維持してきた北朝鮮は、1980年代から核開発に着手したとみられる。
当時は建国の父である金日成から息子の金正日(キムジョンイル)への権限移譲が進められていた頃だが、東側陣営の劣勢が鮮明になって来た時期とも重なる。
>> ソ連崩壊と冷戦終結
そして、冷戦終結後は核開発のペースを速め、1994年の金日成死後に権力の座を継いだ金正日は、「先軍政治」を掲げて国民が未曾有の飢饉で餓死する中でも核・ミサイル開発に邁進した。

なぜ、北朝鮮は核兵器を求めるのか?

核兵器やミサイルがあ、圧倒的な軍事力を備えた相手との「非対称戦争」において、格差を一気に埋める切り札となるからだ。
同時に、核ミサイルは金一族による支配体制を維持するための「保険」として、また、緊張を高めて見返りを得る「瀬戸際外交」のカードとしても用いられた。
事実、1992年に国際原子力機関(IAEA)による査察で核開発疑惑が発覚すると、北朝鮮は翌93年に核拡散防止条約(NPT)の脱退をちらつかせ手、アメリカとの交渉にこぎつけ、、NPT脱退を見送る代わりに重油の供与などを得た。

相次ぐ北朝鮮の核実験

アメリカによる援助後も、北朝鮮は密かに核開発を進め、2003年には再びNPT脱退を表明する。
同年からは周辺国を含めた六カ国協議(日本・米国・韓国・北朝鮮・中国・ロシア)が開かれたが効果はなく、国連安保理の非難決議や経済制裁も、北朝鮮は無視し続けた。
2006年、2009年、そして金正日の死で息子の金正恩(キムジョンウン)が体制を継いだ後の2013年にも核実験を繰り返している。

弾道ミサイルも開発し、北東アジア最大の脅威へ

2016年1月、北朝鮮は「水爆実験」と称する四度目の核実験を行っている。
さらに、同年9月に五度目の核実験を行っており、本当に水爆を保有しているかは定かではないが、核兵器保有は確実視されている。
さらに、同年8月3日、北朝鮮はノドンと見られる弾道ミサイルを発射、日本の排他的経済水域(EEZ)内である秋田県西方の沖合250qの海上に落下した。
現在は、弾道ミサイルに搭載する為の核兵器の小型化に成功したかどうかが焦点とされるが、いずれにせよ、こうした北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本をはじめとする北東アジア地域最大の脅威となっている。

戦後の北朝鮮年表

西暦出来事
1948年 朝鮮民主主義人民共和国建国
初代首相に金日成が選出される。
1950年 朝鮮戦争勃発
1953年 朝鮮戦争休戦協定に調印
1970年 第5回朝鮮労働党大会
「主体思想」を党の指導理念として採択。
1972年 金日成が国家主席に就任
1980年 第6回党大会
1987年 韓国、民主化宣言
1989年 冷戦終結
1991年 ソ連解体
最大の援助国の消失。
1994年 金日成が死去
1997年 金正日が党総書記に就任
「先軍政治」に移行し、軍の影響力が拡大
1990年代後半 食糧危機発生
2000年 韓国の金大中(キムテジュン)大統領と初の南北首脳会談
2002年 日朝平壌宣言
核保有宣言
2003年 核拡散防止条約(NPT)から脱退
2006年 一度目の核実験
2009年 二度目の核実験
2011年 金正日総書記が死去
2012年 金正恩が党第一書記に就任
2013年 三度目の核実験
2016年 1月、4回目の核実験(水爆実験と発表)
9月、5回目の核実験
第7回党大会を開催
36年ぶりとなる党大会で金正恩が党委員長に就任。
2017年 2月、日本海に向け、弾道ミサイルを発射
3月、日本海に向け、弾道ミサイルを4発発射
4月、日本海に向け、弾道ミサイルを1発発射
4月、太陽節に合わせミサイルを発射するも失敗
5月、新型弾道ミサイル発射実験
7月、日本海に向け、弾道ミサイルを発射
8月、日本海に向け短距離ミサイル、太平洋に向け弾道ミサイルを発射・北海道上空を通過
9月、6回目の核実験、太平洋へ弾道ミサイルを発射(北海道上空を通過)

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