ヨーロッパ統合に向かう経済統合の始まり【1967年〜】
1967年、ヨーロッパ共同体(EC)が誕生。冷戦下で相対的に影響力が低下したヨーロッパでは、後の欧州連合「EU」へと繋がる地域統合の道を歩み始める。
>> EC・EU ヨーロッパ統合年表
第二次世界大戦で荒廃したヨーロッパは、国際社会における政治的・経済的な影響力の低下を防ぐ為、地域統合を模索した。
その先駆けとなったのは、1948年に成立したベネルクス関税同盟と欧州経済協力機構(OEEC)だ。
一方、フランスのシューマン外相の提案に基づき、52年にフランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス三国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)で発足したヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)は、2度の世界大戦を引き起こしたドイツ・フランス間の歴史的対立を解消しようという狙いも加味されていた。
つまり、戦争に欠かせない石炭と鉄鋼に関する国家主権を制限し、超国家機関に委ねる事で、戦争の芽を取り除こうとしたのだ。
さらに、58年にはECSCの六カ国でヨーロッパ経済共同体(EEC)とヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)が発足。
67年には3つの共同体が統合され、ヨーロッパ共同体(EC)となった。
国家主権の制限を嫌ったイギリスはこれの共同体からは距離を置いていた。
しかし、60年代に入り、経済成長率でEC諸国に後れを取るようになると方針を改め、73年にアイルランド、デンマークと共にECに加盟した。
さらに、81年にはギリシャが、86年にはスペイン、ポルトガルが加盟する。
この頃のECは、通貨統合や、人・物・サービスの移動の自由など、より高度な市場統合を目指すようになっており、後のヨーロッパ連合(EU)や統一通貨ユーロの導入へと繋がっていく。
EEC発足に際して、より結束の緩やかなヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を設立して対抗したイギリスだが、その後、1963年と67年にはEEC加盟を申請する。
ところが、いずれも自主外交を指向するフランスのド・ゴール大統領に拒否され、加盟は遅れた。
なお、イギリスにも加盟反対派は多く、73年のEC加盟法案は僅か8票差で可決された。
しかし、ECがEUに代わった後、2016年6月23日に実施された国民投票により、イギリスのEU脱退が決定した。
経済的には、EUに加盟し続ける方が良いと思われるが、内戦により不安定化した中東の情勢を受け、難民がヨーロッパへと大量に流出してしまう。
これを受け、イギリスにも難民が集中、治安の悪化などからEU離脱の声が多くなっていった。
西暦 | 出来事 |
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1948年 |
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1952年 |
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1958年 | ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM) ヨーロッパ経済共同体(EEC) |
1967年 |
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1973年 |
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1981年 |
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1986年 |
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1993年 | マーストリヒト条約発効でECがヨーロッパ連合(EU)なる。 |
1995年 |
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2002年 |
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2004年 |
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2013年 |
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2016年 | イギリスのEU離脱が国民投票で決定 |