冷戦時の軍事同盟

アメリカの反共包囲網

東西の集団安全保障機構が地球規模で構築される【1947〜55年】
国連創設時に掲げられた地球規模の集団安全保障の理想は、米ソ両極を中心とした軍事同盟同士が対立する、旧来型の軍事バランスへと逆戻りした。

経済的な包囲網に加え、軍事的包囲網も構築

ソ連の膨張主義に対する自由主義の守護者を自任するアメリカは、トルーマン・ドクトリンマーシャル・プランで経済的な反共包囲網を形成した。
さらに、1949年には北大西洋条約機構(NATO)を結成し、軍事的にも東側に対する包囲体制が構築された。

NATOの前身 西ヨーロッパ連合

NATOの前身となったのは西ヨーロッパ連合条約である。
この条約は、47年末にルーマニアが人民共和国を宣言し、翌48年2月にチェコスロバキアで共産党独裁政権が誕生した事を受け、危機感を募らせたイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの西側五カ国が、同年3月に調印して成立した集団安全保障機構だ。
しかし、同年中にベルリン封鎖が起きるなど冷戦が激化すると、前途の五カ国にアメリカやカナダ、イタリアなど7カ国を加えた12カ国で北大西洋条約を締結。
加盟国の1国に加えられた武力攻撃を、全加盟国への攻撃とみなす共同防衛体制を作り上げたのだ。
さらに、52年にはトルコ、ギリシャが、55年5月には西ドイツが主権回復と同時にNATOに加盟した。

ワルシャワ条約機構

西ドイツのNATO加盟に対抗する形で、ソ連は9日後の5月14日に東欧七カ国(ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニア)と相互防衛援助条約を締結。
ワルシャワ条約機構を結成してNATOとの対決姿勢を鮮明にした。
こうして、世界はアメリカとソ連を盟主とした二極に分けられ、冷戦構造が固定化していった。

反共包囲網を地球規模に拡大したアメリカ

NATOのような集団安全保障機構の構築は、ヨーロッパ以外の地域でも進められた。
その切っ掛けとなったのは朝鮮戦争で、これをソ連の世界戦略と断じたアメリカは、51年8月の米比相互防衛条約調印を皮切りに、9月にはオーストラリア、ニュージーランドとの太平洋安全保障条約(ANZUS)、さらには日本との日米安全保障条約に調印している。
その後も、米韓相互防衛条約米華相互防衛条約を結んだほか、東南アジア条約機構(SEATO)、中東条約機構(METO)を結成して反共包囲網を地球規模に拡大した。
これらは、いずれも共産主義の脅威への共同対処という論理でアメリカが自陣営の防衛強化を図ったものであるが、この論理に与さない国も多く、インドのネルーやエジプトのナセルらは、第三世界として存在感を発揮した。

冷戦初期の安全保障機構

西側諸国

1948年 米州機構(OAS)
南北アメリカ大陸全土の集団安全保障を主目的に結成されたが、貧困の撲滅や加盟国間の経済的、社会的、文化的発展の促進なども目的としている。
1949年 北大西洋条約機構(NATO)
1948年にイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの五カ国で結ばれた西ヨーロッパ連合条約を発展させて発足。加盟国一国への武力攻撃を全加盟国への攻撃とみなし、自由主義体制の擁護や北大西洋地域の安定と福祉の助長などを目的とする
1951年 米比相互防衛条約
旧植民地のフィリピンと結んだ、アジア太平洋地域における最初の反共包囲網
1951年 太平洋安全保障条約(ANZUS)
加盟国の頭文字を取ってANZUSと呼ばれる。オーストラリア、ニュージーランドの軍事パートナーが、イギリスからアメリカに代わった転機ともなった。
1951年 日米安全保障条約
日本の主権回復後もアメリカ軍が駐留することで、極東における安全保障環境を維持することとした。
1953年 米韓相互防衛条約
朝鮮戦争の休戦協定成立から約二か月後に調印。
1954年 米華相互防衛条約
アメリカと台湾の中華民国政府との間で調印。
1954年 東南アジア条約機構(SEATO)
反共集団安保機構として発足。加盟国はフィリピン、タイ、パキスタンに太平洋安全保障条約(ANZUS)加盟国でもある米、豪、ニュージーランド、そしてイギリスとフランスを加えた八カ国。ベトナム戦争終結などを受け、1977年に解散した。
1955年 中東条約機構(METO)
バグダッド条約機構ともいう。トルコ、イラク、イギリス、パキスタン、イランの五カ国による反共軍事同盟。1959年委はイラク革命後のイラクが脱退して中央条約機構(CENTO)へと改組された。その後、イラク革命にともない79年に解体した。

東側諸国

1950年 中ソ友好同盟相互援助条約
第一条で「日本及び日本に同盟する国の侵略を共同で阻止する」と掲げられていた。中ソ対立激化に伴い1980年に失効。
1955年 ワルシャワ条約機構(WTO)
1955年に西ドイツがNATOに加盟した事などを切っ掛けに、ソ連、ポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、アルバニアの八カ国で発足。東欧の社会主義政権が連鎖崩壊した東欧革命を受け、91年に解体した。
1961年 ソ朝友好協力相互援助条約
ソ連崩壊後の1996年に失効
1961年 中朝友好協力相互援助条約
同年、韓国に朴正煕の反共軍事政権が誕生した事に対抗して成立。

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