国共内戦

国共内戦 中国と台湾

大戦後に再燃した国共の争いで、中国共産党が勝利【1949年】
第二次世界大戦の戦勝国の一角である中国では、主導権を巡る国共内戦の末、国民党を共産党が下し、中華人民共和国が成立する。
>> 中国と台湾の成立年表

「抗日」の旗印を失い、再び国共内戦へ

1937年以来の抗日戦争(日中戦争)に勝利した中国は、戦勝国として国連安保常任理事国の座を確保するなど、戦後は国際的な地位を上昇させた。
しかし、21年の中国共産党成立以来、断片的に国民党と共産党が内戦を続けてきた経緯もあり、日本という共通の敵がいなくなった事で、再び国共内戦の火ぶたが切られようとしていた。

双十協定で停戦協定が結ばれるが・・

ただし、長く続いた戦争が終わったばかりで、民衆は強く平和を望んでいた為、国民党の蒋介石(しょうかいせき)と共産党の毛沢東(もうたくとう)は重慶(チョンチン)で交渉を重ね、45年1月10日に成立した双十協定(そうじゅうきょうてい)で内戦を回避を約束する。
次いで46年1月にはアメリカの仲介で停戦協定が結ばれ、同時に国共及び諸党派による政治協商会議が開催されて統一中国の建設などが合意された。
しかし、同年7月、国民党はこの合意を破り、共産党の支配地域に対する全面侵攻を開始する。

緒戦は優位だった国民党軍

国共内戦の再開時、装備・兵力の両面で国民党軍が圧倒しており、共産党は緒戦で敗北と撤退を余儀なくされた。
しかし、内戦再開直後から、国民党の支配地域は急激なインフレに見舞われた他、共産党の宣伝もあって、腐敗と独裁のイメージが定着した国民党は支持を失っていく

農民からの支持を得た共産党が勝利

一方の共産党は、解放区の大地主から土地を接収し、小作人に分け与える農地改革を行いながら戦った為、広く農民から支持を集めていた。
その結果、47年後半ごろから形勢は逆転し、48年11月から翌49年1月の間に行われた遼瀋(りょうしん)・淮海(わいかい)・平津(へいしん)の三大戦役の勝利で、共産党の勝利がほぼ確定した。

中国と台湾、二つの政府が存続

そして、49年9月には共産党を中心とした諸党派の代表が北京に集まって人民政治協商会議を開催。
10月1日には、毛沢東を首席、周恩来(しゅうおんらい)を首相とする中華人民共和国の建国が宣言されたのである。
一方の蒋介石は、12月に台湾に逃れ、同地で中華民国(国民党)政府を存続させ、「大陸反攻」を目指した。

中国と台湾の成立年表

月日 出来事
1945年 8月14日 日本、ポツダム宣言受託
  8月15日 蒋介石、抗日勝利演説
  10月 双十協定締結
1946年 1月 国共停戦協定成立
政治協商会議開催
  7月 蒋介石、共産党支配地域に全面侵攻
国共内戦が本格化
1947年 3月 共産党が延安から撤退
  9月 人民解放軍が総反攻
  10月 共産党が「中国土地法大綱」を公布
1948年 11月 遼瀋戦役勝利
林彪(りんぴょう)ら率いる人民解放軍が東北地方解放
1949年 1月 淮海戦役勝利
ケ小平ら率いる人民解放軍が長江北岸解放
平津戦役勝利
林彪ら率いる人民解放軍が北京・天津解放
  5月 人民解放軍が上海を解放
  9月 人民政治協商会議で毛沢東が中央人民政府主席に選出される
  10月1日 毛沢東、中華人民共和国成立を宣言
  12月 蒋介石が台湾に逃れ、中華民国を台北に遷都
1950年 6月 朝鮮戦争
1954年 9月 人民解放軍、中華民国が支配する金門島・馬祖島を砲撃
1958年 8月 人民解放軍、金門島・馬祖島を砲撃
以降、21年間、形式的な砲撃戦が続く

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