江戸の水害対策

江戸の街の水害対策

江戸の地は、徳川家康の入部前は湿地帯だったため、水害が頻繁に起こっていた。
河川の整備、埋め立て、堤の築堤、堤防を強化するために桜の木を植えるなど、さまざまな水害対策がなされていった。
そして水害対策を重ねるうちに、江戸は低地と埋め立て地が広がる地形へと開発されていく。
しかし、どれだけ対策を重ねても完璧には程遠く、江戸の街は幾度も水害に襲われる事となる。
江戸の街の水害対策をまとめる。

江戸はもとは湿地帯、水害が多かった

雨が降れば、時間が経っても、水が引かない

江戸は地形上、昔から水害とは切っても切れない関係にあった。
家康が入部(江戸幕府成立前のため「入府」ではなく「入部」)する以前の江戸は湿地帯が広がっており、大雨が降ると水がしばらく引かない場所もあった。

家康が河川整備にとりくむ

そこでまず家康は、巨額の費用と長大な時間を費やし、河川の整備に取り組んだ。

家康の亡き後も、幾度も大洪水がおこる

もともと低地だった江戸

それでも、元々が低地で、埋め立て地や河川の流域が広かった江戸は、家康の没後も、水害が後を絶たない場所だった。

【江東撤退】開発が失敗し中断してしまう

なかでも、延宝8年(1680)に起きた大風水害は、隅田川東岸地域の開発に大きな影響を与えた。
本所・深川にも高潮が押し寄せ、多くの溺死者が出る事態に見舞われた。
開発は一時中断となり、造成された土地は幕府に召し上げられた(江東撤退)。
その後、開発が再開され、元禄期(1688〜1704)になると、再び土地の下げ渡しが行われるようになった。

寛保二年江戸洪水(1742)

台風による大雨や高潮の影響で、江戸は数え切れないほどの水害に見舞われたが、特に被害が甚大だったのが、寛保2年(1742)に起きた「寛保二年江戸洪水」といわれている。
台風によるものとみられる暴風雨の影響で、利根川や荒川、多摩川の上流域で洪水が発生。
その水が下流の江戸方面にも流れ、低地の下町一帯が冠水した。
幕府は船をかき集めて救出活動を行い、被災者への炊き出しを行った。

家康の時代から各地に【堤】が築かれていく

家康・秀忠・家光による江戸の都市整備では、街を水害から守るため、各地に堤が築かれた。

全国の大名が協力して作った日本堤

元和6年(1620)、聖天町から箕輪の山谷堀沿いに築堤された日本堤もそのひとつで、全国の大名が協力して造ったことから、「日本堤」の名がついたといわれる。(堤が2本あったので、「二本堤」と呼ばれたとする説もある)
土手の長さが8丁(約800メートル)だったので、「土手八丁」とも呼ばれた。

吉原への通り道としても利用された日本堤

日本堤は、幕府公認の遊廓である吉原に通う人たちの通り道にもなった。
歌川広重の『名所江戸百景』には、夜でも人通りがあって、通りには茶屋が立ち並ぶ日本堤の姿が描かれている。
駕籠に乗って吉原に向かう人ももいたが、「水の都」らしく山谷堀を猪牙舟(江戸市中の河川で使われた小型の舟)で吉原に通う人もいた。
このあちこちに舟が配置されているのも水害時には役に立っていた。

日本堤は現存せず

日本堤は昭和2年(1927)に取り崩され、山谷堀も吉原の衰退とともに埋め立てがはじまった。
そして、昭和50年(1975)に埋め立てが完了した。

堤防を強化するため、桜の木を植える

江戸市中を流れる隅田川

江戸市中を流れる隅田川の水害対策は、幕府にとっても懸案事項だった。

桜の木が根を張り、土の堤防を強化

両岸には堤防が築かれたが、その一環として桜の木も植えられた。
堤防は今のようなコンクリート製ではなく、土を盛って造られていたので、強度に不安があった。
そこで、桜の木を植えて根を張らせることで、堤を強化したのである。

4代家綱から始まった桜植え

植樹は4代将軍・家綱の頃からはじまり、8代将軍・吉宗は大々的に桜の植樹を行った。
桜の木がたくさん植えられたことで、隅田川は桜の名所にもなった。

もちろん行楽としての狙いもあった桜

吉宗が桜の木をたくさん植えたのも、隅田川を庶民のための行楽地にする狙いがあったとみられる。
関東風の桜餅は、隅田川の向島にある長命寺の門前で売られはじめたのが起源とされる。

厄災除去を祈願し、花火を打ち上げた

隅田川を代表するもう1つの娯楽が、現在も夏の風物詩として行われている花火大会である。
明治時代の郷土玩具研究者・清水晴風の『東京名物百人一首』によると、享保18年(1733)、大飢饉や疫病による死者供養や災厄除去を祈願し、花火を打ち上げたのがはじまりとされる。

当初、打ち上げは鍵屋が担ったが、19世紀に入ると鍵屋から暖簾分けしてできた玉屋も加わり、2つの業者が腕を競い合って打ち上げるようになった。
しかし、玉屋は失火事故を起こしてしまい、わずか1代限りで姿を消してしまう。


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