武士や妻の呼び方

武士の作法 武士や妻の呼び方

武家の女性は、身分で呼び名が変わる

武家の女性は、格式や身分によって呼称が違った。
まず、将軍の正室は「御台所(みだいどころ)」といい、それを略して御台様と(みだいさま)と呼ばれていた。
御三家や御三卿(将軍家に跡継ぎがいない場合、後継者を出す徳川氏の一族)の妻は「御簾中(ごれんちゅう)」という。
「簾中」とは簾(すだれ)の中という事であり、「簾の中にいる貴婦人」という意味だ。

大名や高家、御目見(おめみえ)以上の旗本の妻は「奥さま」或いは「奥方さま」と呼ばれていた。
本来の奥さま、とはお屋敷の「奥の間」に住んでおり、表へは出てこない、、という意味で「奥さま」であった。

いっぽう、御目見以下の御家人の妻では、「御新造さま(ごしんぞう)」と呼び名が変わる。
さらに身分の低い足軽の妻になると「御新造さん」や、庶民と同じように「御内儀(ごないぎ)」等ど呼ばれる事もあった。

一方、大奥では、身分に従って名前が変わった。
例えば四代将軍 家綱を生んだ家光の側室「宝樹院(ほうじゅいん)」は、奉公したてのときは「紫」といい、御中臈(おちゅうろう)になってから「お蘭」と改め、家綱を生んでからは「お楽の方」と呼ばれた。

大名家でもこれにならい、側室に上がると「おの字免許」と言って、二文字の名前なら「お富」など「お」の字が頭に付く。
そして子供を産むと、「方の字免許」といって、下に「方」を付けて「お富の方」と呼んだ。

武士を実名で呼ぶと無礼になる

江戸時代の武士も、出世魚と同じように、頻繁に名前が変わった。
幼名から始まって、元服すると名前を変え、何か役職について出世すると、また名前を変えたのだ。

さて、武家には大きく分けて「名字」「名乗り」「(いみな)」の三種類の名前があった。
例えば「遠山の金さん」のフルネームは、「遠山左衛門尉景元(とおやまさえもんのじょうかげもと)」である。
このうち「遠山」が名字で、これは現代と同じく、先祖代々、親から子へ引き継がれていくものだ。
次に、真ん中の「左衛門尉」は「名乗り」といい、自分が名乗るときも、人から呼ばれる時にも使われた。

しかし、「劇中では「金さん」と呼ばれているのに「金」とは一文字も入っていないのは何故?」か。
もとは「金四郎」という名前だったのを、町奉行に任命されて出世した時に「左衛門尉」と改めたのだ。

そして最後の「景元」という部分は「諱」といい、元服した時に付けられる名前である。
実はこの「」こそが武士にとって「実名」なのだが、口にしてはいけない事になっていた。
日本では、古代から「実名」は肉体の一部という考えがあり、実名で呼ぶ事は無礼にあたるとされてきたのだ。


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