武士のプライベート

武士の日常 武士のプライベート

大名同士の交流

戦国時代からさほど年代差のない江戸時代初期、幕府は、各地の大名同士の付き合いに非常に神経を尖らせていた。
大名同士の自由な交流を許せば、倒幕に繋がる不穏な動きが芽生える危険性があるからだ。
しかし、大名同士に全く交流がなかったという事でもない。
お互いに屋敷に招き合ったり、祝い事があれば祝儀を贈り合ったりしていた。
しかし、下手に他の大名と関係を深くして、幕府に嫌疑を掛けられるのを避ける必要があった。

仲介人を同席させる「出入旗本」

そこで、用意された役割が「出入旗本」である。
幕府に大名の会合の際の話題を質問されたとき、立会人として「怪しい話題は、特にございませんでした。」と証言するのが、出入旗本の役目だ。
無論、幕府との仲介を行うわけで、身分の低い貧乏旗本では務まらない。
石高にして1000〜3000石程の名の知れた旗本で、幕閣に睨みを効かせられる人物が選ばれた。

大名個人の付き合いの他、藩ごとの交際も盛んに行われていた。
例えば、大名の留守を預かる役目だった江戸留守居役同士は、高級料亭や、新しくできた評判の小料理屋などに集まって、情報交換という名目で、頻繁に夜遊びをしていた。
さらに、その飲食代は藩から経費として支給されていた為、遊び放題だったのだ。

外出先で、もよおした時

外出先で便意に襲われたとき、武士はどうしていたのか。
知り合いの家や出入の商店が近くにあれば、そこの便所を借りればすむ。
問題は、知り合いの家が近くにない場合だが、そんなときは、庶民の住む裏長屋の共同便所を借りて用を済ませていた。

しかし、無事に長屋の便所を借りる事が出来ても、裏長屋の便所はとても狭かった。
その中で、袴を脱いで、用を足すのは、なかなか大変だったであろう。
「小」の方なら、袴をちょっと下げるだけだろうが、「大」の時は袴ごと脱がなければならなかった。
そのため、江戸時代も中期以降になると、行灯袴(あんどんばかま)と言って、用便が済ませやすいスカート上の袴が考案された。

とはいっても、外出先で庶民の便所を拝借するというは、武士としてはみっともなかった。
そのため、外出する前に、キチンと済ませておくのが普通であった。


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