奈良県飛鳥地方(現在の明日香村を中心とした地域)には飛鳥時代に造られた巨石の石造物が遺っている。
それらの巨石群は、飛鳥へ移った皇族(斉明天皇や天智天皇)らによって整備されたとみられる。
その用途は分っていないが、後の仏教美術とは趣きが異なり、一部の物に道教との関わりがあったとも考えられている。
奈良県明日香村に巨石を用いて造られた遺跡が幾つもある。
この巨石の中の不思議な形をした須弥山像(しゅみせんぞう)、亀石などは永らく「謎の石造物」と呼ばれてきた。
巨大な噴水の須弥山像、老女を彫刻した石人像、酒船石、亀石、二つの顔を掘った二面石などが遺る。
『日本書紀』には、斉明天皇が飛鳥で大掛かりな建設工事を行ったと記している。
大化の改新の後、孝徳天皇と中大兄皇子(のちの天智天皇)の衝突が起きたと伝えられる。
このとき、王族(皇族)と豪族の大部分が中大兄皇子に付くが、そこで中大兄皇子は653年に皇族上皇らと共に飛鳥川辺行宮(飛鳥河辺行宮)に遷った。※孝徳天皇は翌654年に難波宮で没す
皇極上皇は再び大王(おおきみ:天皇)の地位に就く(重祚という)が、この時に“斉明天皇”として即位した。
その斉明天皇が手掛けた飛鳥の巨石群が今も遺っているという事だ。
斉明天皇は王宮や庭園を整備して飛鳥の地を華やかにした。
奈良県明日香村の石神遺跡に置かれていた須弥山像。
須弥山像の内部には中空の部分が在り、像の表面には通水の為の穴が造られている。
その為この須弥山像は、巨大な噴水であったと考えられている。
石神遺跡は、斉明天皇が海外からの外交使節団や蝦夷が送って来た使者をもてなす宴会場だったのかも知れない。
石神遺跡からは他に老翁と老女を彫刻した石人像も見付かっている。
噴水と石人像の他にも、石の上に溝や窪みが掘られた酒船石、亀の形の亀石、二つの顔を掘った二面石などがある。
用途に関して明確には不明だが、ある程度の憶測はされている。
酒船石は水が流れる様子を鑑賞するモノではないかと考えられ、実用性は無かったかも知れない。
川原寺の近くの亀石は、川原寺の境界を示す標示(標識)だったと考えられる。
橘寺境内にある不思議な顔をした二面石は、人間の善悪の表情を教えて参詣者を仏教の慈悲の教えを説いたとも云われる。
ただし、どれも定説には至っていない。