韮山城の長期籠城

秀吉の誤算となった韮山城の長期籠城

想定以上に強かった後北条氏

豊臣秀吉小田原征伐は、完全な勝利ではなかった。
関東の後北条氏側が韮山城と忍城が善戦したことで、秀吉は小田原の急襲を諦める事になり、東国の諸大名に豊臣家の威光を示すことに失敗している。
秀吉の誤算となった韮山城の長期籠城を簡単にまとめる。

四国・九州に続き関東平定に動く秀吉

残るは後北条氏と伊達政宗

四国と九州を平定したことで、豊臣秀吉による天下統一を阻んでいるものは、残すところ関東の北条氏と、東北の伊達政宗のみとなった。

秀吉が北条との手切れ宣言

天正17年(1589年)、上洛をこばみ続けた北条氏に対し、豊臣秀吉は討伐を決意。
同年11月24日の書状により北条との手切れを宣言、翌年春の出陣を諸大名に命じている。

支城群で抵抗する北条の持久防衛戦略

非常に多くの支城を持つ北条氏

秀吉の出陣に対しに対し、北条も領内の武将に命じて小田原に兵を集めさせ、同時に八王子城、山中城、韮山城、足柄城、松井田城などの修築を行い、来たる豊臣との決戦に備えている。

それらの支城を打ち砕いてくる豊臣軍

北条の戦略は、関東各地の支城群で豊臣軍を分断し、各支城が長期籠城をすることで兵力の多くを釘づけにし、豊臣軍の兵糧切れを待つか、タイミングを見て小田原の主力を押し出して決戦というものだった。
しかし、豊臣軍は圧倒的兵力をもって各地の支城を短期間で落とし、北条の基本戦略を打ち砕いてしまう。

圧倒的な軍勢の豊臣軍

秀吉の軍勢は20万を超える

北条が用意した軍勢は、小田原の主力が約5万、他の支城合計で2〜3万といったところだった。
これに対し、秀吉は20万を超える軍勢を引き連れて関東に進行した。

有名な石垣山一夜城

支城の多くを落とした豊臣軍は、力で小田原を攻囲し、石垣山に巨大な付け城(石垣山一夜城)を築いて長期戦の準備に入っている。
この一夜城の建築を多くの人員を動員できる豊臣ならではの戦術だった。

秀吉の楽勝、というイメージは誤り

小田原北条氏は、当初に想定した持久防衛戦略に失敗し、抵抗らしい抵抗もせずに降伏した。秀吉の小田原征伐は計画通りの完勝であった。
と見られがちであるが、必ずしもそうではなかった。実際には、局地戦において苦戦していたようだ。

秀吉の兵站線を脅かす韮山城の北条軍

小田原征伐での豊臣軍にとって、大きな計算違いが二つ存在した。

忍城の水攻めで失敗

石田三成のせいにして誤魔化した秀吉

一つは、秀吉が発案した忍城の水攻めの失敗である。小田原攻めにおいてはさほどの痛痒ではなく、秀吉もそれを気にした風はないが(石田三成のせいにされた)、豊臣家の威光を示すというプロパガンダとしては失敗であった。

しかし、忍城水攻め以上の失敗は、韮山城での苦戦である。

足柄城、中山城ははやくに降伏してしまうが

伊豆の足柄城、中山城、韮山城は、北条が小田原城を守るべく準備した防壁的存在で、各城には一門衆を配備し、万全を期した。
しかし、中山城は半日、その報を受けた足柄城もすぐに開城している。

韮山の籠城で小田原強襲をあきらめた秀吉

韮山城だけが奮闘した

だが、3640の兵がこもる韮山城は、4万4000の豊臣軍に囲まれながらも籠城を続けた。

豊臣の補給ライン上に韮山城が存在した

豊臣軍は、短期間で押しつぶすことが難しいと判断すると、城を攻囲する兵のみを残して、多くの兵を他の戦線に振り分けているが、豊臣の兵站戦を脅かす位置に存在する韮山城は、開城するまで、豊臣軍を悩まし続けた。
本来、短期で落として全軍を前線に進めたいところであるが、韮山に有力な敵兵力が存在することで、抑えの兵を置き、さらには兵站ラインの防衛に戦力を割かねばならなくなってしまった。

韮山城の存在が秀吉を長期戦へ向かわせる

韮山城の頑強な抵抗は、小田原城への強襲を躊躇させ、コストのかかる長期攻囲へと向かわせた。

秀吉が負けようものなら伊達や徳川はどう出るか

後に家康が東国で大躍進する布石

包囲戦は決して楽なものではない。奥州には伊達政宗が無傷で存在し、臣従したばかりの徳川家康にも油断は見せられない。
長期戦となったことで徳川軍への依存度が高まり、家康の政治的立場も強められた。

内心焦っている人ほどお喋りになるもの

秀吉は、パフォーマンスでその優位性をアピールし、商人や遊女を呼び、さらには能や茶会を催して楽しんでいる風を装ったが、実際は、内心の焦りを周囲に悟らせたくなかったのかも知れない。

辛くも小田原を開城させたが、東国での豊臣の求心力は得られず

長期滞陣に不安を抱きつつも、力差で圧倒する豊臣軍は各地をほぼ八王子城を6月23日に、韮山城を24日に開城せしめ、小田原城も7月5日に開城した。 その勝利は圧勝ではなく、東国での豊臣家の政治力に影を及ぼした。


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